酒を飲むのに理屈はいらない。だから酒をやめるのにも理屈はいらない【適菜収】
【新連載】厭世的生き方のすすめ! 第2回
時代を鋭く抉ってきた作家・適菜収氏。当サイト「BEST T!MES」の長期連載「だから何度も言ったのに」が大幅加筆修正され、書籍化(『日本崩壊 百の兆候』5月刊)されます。新連載「厭世的生き方のすすめ」では、狂気にまみれたこのご時世、ハッピーにネガティブな生活を送るためのヒントを紹介する。あらゆるものを縮小し、酒も飲まなくなったという適菜氏の連載第2回。

■酒をやめる
「あれも嫌、これも嫌」ということになると、好きだった酒も嫌になってくる。私はこの四半世紀、毎日酒を飲んできたが、昨年秋に風邪を引いたのをきっかけにやめた。もう半年以上飲んでいない。「禁酒は大変でしたか」「意志が強いですね」などと言われたりしたが、努力は必要ない。医者に止められたわけでもない。酒をやめるのは簡単だ。アルコール依存症でなければ、飲酒は単なる習慣と「やめるのは難しい」という思い込みだけであるからだ。
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酒飲みは都合のいい理屈をひねり出す。「酒を飲まないと体の調子が悪い」「酒がないと人生は味気ない」「毎日酒を飲んでいる100歳を超えた老人がいる」……。しかし、酒を飲まないくらいで味気なくなる人生は、所詮はその程度の人生だったのであり、酒くらいでは死なないから100歳を超えているのである。例外を一般化しても仕方がない。
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私も酒を飲んでいるときは、酒をやめるのはバカではないかと思っていたが、酒をやめたら酒を飲む奴はバカではないかと思うようになった。そういうことを言うと、多くの酒飲みや飲食店を敵に回す恐れがあるので、前言を撤回して、「酒は控えめに」と言っておく。
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歳をとった後も若者のように飲み続けて、死ぬ奴は多い。私の周りにも大勢いた。「酒で死ぬなら本望だ」という感じなのだろうが、それもまた酔っ払いの視点であって、酒をやめれば視点は変わる。
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習慣の力は恐ろしい。酒を飲まない人は勘違いしているかもしれないが、酒飲みは毎日「酒を飲もうかな」と考えることはない。そういう判断自体が存在しない。小学生が朝起きたら朝ごはんを食べて、歯を磨いて学校に行くのと同じで、酒飲みは夕方になれば歯を磨いて酒場に行くのである。自由が丘の酒場「金田」は「学校」と呼ばれていた。
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酒を飲むのに理屈はいらない。だから酒をやめるのにも理屈はいらない。私の場合、「そういう時期が来た」「学校を卒業した」という感じだ。つい最近まであちこちで煙を立てながら紙タバコを吸っている人がいた。でも、今はほとんどいない。時代も社会もあっという間に変化する。
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ちなみに私はタバコが嫌いである。あるとき「週刊新潮」で「TVふうーん録」という連載が始まった。扱っているお笑い番組が新しいので、吉川潮(演芸評論家)がなぜこういう連載を始めたのかと疑問に思ったが、筆者名のデザインが紛らわしくて吉田潮の「田」が「川」に見えただけだった。その後、吉田と私と日刊ゲンダイの女性記者の3人で飲みに行ったことがあった。私の横に座っていた吉田が「タバコ1本、吸っていいかしら」と言うので「駄目です」と答えた。「面と向かって拒絶されたのははじめてです」と感心された。その後、酒のお誘いはない。
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酒を飲まなくなった後に、某寿司屋でノンアルコールビールを飲んでいると、私が通ってた酒場の常連の女医さんとばったり会った。私が酒をやめたことを話すと、少しくらいなら飲んだほうが体にいいと言う。でも、少量でも酒は体によくないという医者は多いし、飲み始めれば、すぐに量は増えてしまう。それを抑えるほうが精神力を使う。だったら、最初から飲まなければいい。
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開高健は若いころはウイスキーなどの色のついた酒を飲み、そのうちジンやウォッカなどの透明な酒を飲むようになり、最後は岩清水にたどりついた。老子は「上善如水」と言った。理想的な生き方は、水のように器に従って形を変え、低い位置に身を構えるということである。「上善如水」という酒もある。水のようにすっきりしていておいしいとのこと。だったら最初から水を飲めばいい。
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