■大阪球場で育んだ原点

 実際、取材中、練習中、試合中の黒田投手の言動には「覚悟」を持って日々に取り組んでいることが見て取れました。相手打者への徹底的な研究、一人で黙々と行なう自主トレーニング、マウンドでピッチャーライナーに素手を向けてでもアウトを取りに行こうとする姿勢……。その例は枚挙に暇がありません。

 では黒田投手のこうした「覚悟」への原体験はどこから生まれたのか。とてもよく覚えている話があります。
 子どものころ、黒田投手は友人と大阪球場へプロ野球をよく観に行ったそうです。「いま思えば、あの球場の風景は広島市民球場に似ていた」と黒田投手が振り返るその球場のホームチームである南海は、当時強いチームではありませんでした。閑古鳥が鳴く球場に観戦に行き、負け試合を観て帰る。そんなことがたびたび。けれどそれが逆に、数少ない勝った試合の喜びを生みます。

 勝利を見届けた試合、黒田少年は「僕が観に来たから勝ってくれたんだ」ーーそう思ったと言います。

“この経験は、僕のマウンドにおける姿勢の原体験となっていまも強く残っている。僕は、常にどんなマウンドでも、強いプレッシャーを感じながらマウンドに立つ。それは、勝ち負け以前に、投手としてマウンド上で戦う姿勢を見せることが大切だと思っているからだ”

“そう思えば、負けていい試合は当然存在しないし、なによりマウンドでの戦う姿勢を最後まで見せなければファンの方に失礼だと強く思う。子どものころの自分がスタンドにいて自分のピッチングを見ていたら、どう感じるだろうか。熱い気持ちになるだろうか”(『決めて断つ』より引用)

 インタビュー取材をさせていただいたとき、この真意についてこう語っています。

「投手の僕にとってはシーズンのうちの1試合かもしれないけれど、かつての僕のようにわくわくして球場に試合を観に来た子どもたちにとっては、思い出に残る大切な1試合になるかもしれないじゃないですか」

 ふだんはなかなか球場に来られない人が、ちょっと休みができたからわざわざ来てくれたのかもしれないし、1年に1回の家族の楽しみとしてずいぶん前から計画してくれていたのかもしれない。そして……、

「もしかしたら僕のように両親が病気で、一緒に球場に足を運ぶのが最後の人だっているかもしれないと思うんです」(※編集部注:黒田投手は両親を早いうちにガンで亡くされている)

 「覚悟」を持って続けてこられた20年間。引退会見のどこか晴れやかな表情には、そのプレッシャーから少し開放された黒田投手がいたようにも思えました。

 とはいえ、すでに日本シリーズへ新たな「覚悟」を持っていることだろうと思います。最後の勇姿を、背負ってきた20年間に思いを馳せながら、我々も覚悟を持って見届けたいと思います。