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日本中が歓喜した「大戦果」の
真相を山本は知っていたのか?

山本五十六と「い」号作戦 第3回

 こうして18年4月、4次にわたる航空攻勢が実施される。空母の航空部隊(第3艦隊)、陸上基地の航空部隊(第21航空艦隊)で実施し、あわせて400機以上の航空機が参加した。この攻撃は当然山本の承認を得ており、開始に先立って、彼は4月3日前線のラバウルに進出する。

 この戦いの終了後、当時の日本では「大勝利」との大本営発表が行われた。しかし実際の攻撃と戦果、そして損害は別表に示している通り、日本側とアメリカ側の報告に大きな開きがある。

 ここではアメリカ側の資料から見てみよう。驚くべきことに4回にわたって行われた大規模攻撃に関し、アメリカ側が言及しているのはわずかに4月7日に行われたX攻撃のみである。

 これはガダルカナルの飛行場、ツラギ沖の輸送船団に対して行われたものだが、他の3回にわたるY攻撃についてはなにも語っていない。つまり、記述するだけの価値のある戦闘はなかったといった意味であろう。

 さすがに零戦150機、99艦爆70機の参加したX攻撃には、「日本軍による陸上基地からの最大規模の攻撃が行われた」と書かれている。

 しかしこの戦闘で特筆すべきは、日本軍の過大な戦果発表で、巡洋艦、駆逐艦各1隻、輸送船10隻撃沈となっている。また自軍の損害は6機と発表された。これが事実なら大戦果と考えてよかったのだが、アメリカ側の発表では、輸送船1隻、が沈没、1隻がかく座となっており、まさに幻の大戦果でしかなかった。

 

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三野正洋

みのまさひろ

作家、NPO法人「DEM博物館を創る会」理事。1942年千葉県生まれ。大手造船会社にて機関開発に従事の後、日本大学准教授(一昨年定年退職)。『日本軍の小失敗の研究』(正・続、光人社)、『「太平洋戦争」こう戦えば…―「If」の太平洋戦争史』(ワック)ほか著書多数。


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