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なぜこんなに出世? 戸田氏鉄大垣藩十万石

鈴木輝一郎 戦国武将の史跡を巡る 第10回

ぼくは岐阜県大垣市に住んでいます。
ここは古い城下町ですが、なかなか城主がきまらなかった。
戦略の要地は主権者がころころ変わる。
現代でいえばアフガニスタンとか、ポーランドとかがそう。
ぼくの住んでる岐阜県大垣市も、美濃斎藤・尾張織田・近江浅井にはさまれて、とったりとられたりしてました。
関ケ原の東側で、東西交通の要地ですからね。

寛永12年(1635)。
戦国の遺風がまだ残っているころ、戸田氏鉄(とだうじかね・1577-1655)が尼崎五万石(当時)から転封され、大垣藩十万石となって安定しました。

 

大垣市では毎年、秋になると『十万石まつり』が行われます。
歴史をなにもわかってない子供のころは「加賀百万石があるのにうちは十万石かよ」と思ってました。
でも、実は譜代大名で十万石は最高位なんですね。

井伊直政 彦根藩35万石
本多忠勝 桑名藩10万石
榊原康政 館林藩10万石
酒井忠次 長男家次の代に越後高田10万石

で、この「おらが殿様」戸田氏鉄公の実績を洗ってみると──
なぜこんなに高い地位にのぼったのか、よくわからない。
詳しく調べたいところなんですが、戸田家の史料は第二次大戦時に空襲でほとんど焼失した、とのこと。

 

 

実は大垣藩、多くの忍者をかかえていたらしい。
大垣城の外堀の隣に「栗屋町」って場所が現存してます。
この町名は「伊賀者」に由来しているとのこと。
つまり「栗」と「イガ」をかけている、ちう、ベタな謎かけ。
だけど逆にいえばベタな謎でも困らないほど大垣では伊賀者の地位は高かった、ともいえる。

松尾芭蕉の全国行脚が、事実上、幕府隠密の伊賀者として諸国の実状視察だというのは公然の事実。
大垣は全国の忍者ネットワークの重要拠点でもあったわけですな。
んでまあ、戸田氏鉄が理由不明で四天王に匹敵する出世をしたのも、案外そんなところかな? と。
 

 

写真は戸田氏の菩提寺、円通寺です。
プチ陽明門、って感じの、いい山門です。
(了)
 

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鈴木 輝一郎

すずき きいちろう

作家

1960年岐阜県生まれ。小説家。歴史小説『浅井長政正伝』『戦国の凰 お市の方』など著書多数。2008年には著作が50冊に達した。

日本推理作家協会・日本文藝家協会・日本冒険作家クラブ会員。


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