子どもたちの “嫌がらせ” に耐える教師たち 生徒が放った言葉に唖然…【西岡正樹】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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子どもたちの “嫌がらせ” に耐える教師たち 生徒が放った言葉に唖然…【西岡正樹】

子たちはなぜ不満を溜め込んでしまったのか?

 

◾️子どもたちが「理不尽な言動」を起こす原因とは

 

 私はY教諭の話を聞き終え、子どもたちの「理不尽な言動」が生まれる流れを考えてみた。

  子どもたちは4月当初、意欲に満ちていたはずだ。昨年度の自分がどのような状態であっても、子どもたちは新しいクラスになり、新しい先生、新しい仲間の中で頑張ろうとリセットしたにちがいない。表面上は見せなかったかもしれないが、担任の先生に対しても大きな期待を持っていただろう。

 その期待が大きければ大きいほど、期待が崩れた時の反動(失望感、あきらめ)も大きいのは予想できる。振り返って思うに、Y教諭自身が感じていた子どもたちの自分自身への不満は、次の3つではないか。※( )は教師目線

 

*自分の頑張りを認めてくれない(一人ひとりを見ていない)

*人によって対応に差がある(公正、平等でない)

*授業が面白くない(工夫が足りない、授業デザインが弱い)

 

 このような思いが子どもたち一人ひとりの中に積み重なっていると、教師と子どもの関係を維持することは難しい。ちょっとした出来事でも容易に関係が切れるだろう。教師と子どもの関係が切れる(信頼を失う)と、教師の言葉は子どもに伝わらない。すると、子どもは、関係性を除外した自分本位の動きを始める。この連鎖によって、教室の集団規律が緩むと同時に、教室が一気に不安定な状態になり、それに伴い、子どもの不安も大きくなってくる。

 5、6年生は、大人とほぼ同じような思いや考えを持てる年代だが、経験値が足りない分、一人ひとりの課題解決は大人のようにはいかない。自分の不安を自分の力でうまくコントロールできない子どもたちは、感情のまま動いてしまう。それが繰り返されているうちにより過激になり、理不尽な言動へとエスカレートしまったというのが、Y教諭のクラスの現状なのではないだろうか。

 しかし、子どもたちの不安や不安定さは、Y教諭と子どもたちとの関係性の欠如だけが要因ではない。何故なら、他の学校や地域でも5、6年生の荒れた教室の実態が多く見られるからだ。やはり、低学年の子どもたちとは異なり、思春期に入った子どもたちならではのアンバランスさが、子どもたちをより感情的に動かしているように思えてならない。

 心と体の成長がもたらすアンバランスさ。頭で思い考えたことをうまく処理できない思考と行動のアンバランスさ。情報の多さに対応できないアンバランスさ。思春期の子どもたちが持つアンバランスが、子どもをより不安定にしている。そのことを教師や保護者は理解し、子どもと対応しなければならないことを、肝に銘じるべきだろう。

 11歳、12歳といっても不安定な子どもたちだ。教師も保護者も高をくくってはいけない。こんなこと分っているだろう、できるだろうと自分本位な見方で処理することは危険だ。子どもたちの話をしっかりと聞き、支えること。子ども自らが考え、判断し自分の行動を決定するためのサポート(ちゃんと耳を傾ける)をすることが大切なのではないだろうか。

 とはいっても、教師と子どもの関係性だけですべてが決まるわけではない。Y教諭が自らを振り返り、悔恨の念にかられているが、子どもの行動は「他者との関係性」と「周りの環境」そして「自分の意志」によって決定されるのだ。

 

 新年度が始まってから3年生を担任したY教諭。気持ちをリセットし、子どもたちへの焦りやいら立ちを感じないまま、楽しい時間を過ごしている。また、子どもたちの返事や取り組む姿を見ていると、子どもたちは自分を受け入れてくれているように感じられる。子どもたちに助けられている今が心地いい。

 ところが、新学期が始まって間もない時に、思いがけないことが起きた。子どもたち一人ひとりの様子を確認しようと、6列に並んでいる机の列と列の間に入ろうとしたその時だった。

 「うっ」突然体が硬直し、足が止まってしまったのだ。体に異変がある訳ではないのに、一歩が出ない。列と列の間に入ることを、体が拒否しているのに気が付くまで、時間は必要なかった。

 Y教諭は、自分の体と心が受けたダメージの大きさをあらためて実感した。理不尽な言動を受け続けた体と心は、じっさいは今も完全に癒えていなかったのだ。 

 

文:西岡正樹

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西岡正樹

にしおか まさき

小学校教師

1976年立教大学卒、1977年玉川大学通信教育過程修了。1977年より2001年3月まで24年間、茅ヶ崎市内の小学校に教諭として勤務。退職後、2001年から世界バイク旅を始める。現在まで、世界65カ国約16万km走破。また、2022年3月まで国内滞在時、臨時教員として茅ヶ崎市内公立小学校に勤務する。
「旅を終えるといつも感じることは、自分がいかに逞しくないか、ということ。そして、いかに日常が大切か、ということだ。旅は教師としての自分も成長させていることを、実践を通して感じている」。
著書に『世界は僕の教室』(ノベル倶楽部)がある。

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