世界のエリートはみなヤギを飼っていた【第7回】「深夜の病院でコーラを飲む者」〈田中真知×中田考〉 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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世界のエリートはみなヤギを飼っていた【第7回】「深夜の病院でコーラを飲む者」〈田中真知×中田考〉

田中真知×中田考によるウイズコロナ小説【第7回】

 それから数日後の夜だった。

 リュウは深夜に暑くて目が覚めた。

 寝間着が汗でびっしょり濡れていた。

 どうして病院てのは、エアコンの効きがこんなに弱いんだ。

 ぬるぬるとまとわりつくような熱気が耐えがたい。

 オレはビールもエアコンもキンキンに冷やしたのが好きなんだ。

 それでも向かいや隣のベッドからは同室の患者たちのいびきが聞こえる。

 じじいどもは鈍くていい気なもんだ。

 下の自動販売機で冷たいものでも飲もうと、リュウは病室を出た。

 杖をつきながら、明かりの落ちた人気のない廊下を歩き、階段を降りて、販売機のある一階のフロアへとたどりついた。

 日中は混み合っているフロアだが、この時間はだれもおらず、がらんとして暗い。販売機のある一角だけが明るかった。

 その明かりの前になにかがいるのにリュウは気づいた。

 なんだ?

 逆光で影になっているが、その輪郭は見覚えがあった。

 ヤギだ!

 駅前で見たのと同じかどうかはわからないが、ヤギであることはまちがいなかった。でも、病院にヤギがいるはずがない。こんどこそ夢を見ているのかもしれない。真夏の夜の夢ってやつか。

 ヤギは販売機を見上げている。

 なにか飲みたいんだろうか。この暑さだから、ヤギだって喉も渇くだろう。

 リュウは販売機に近づいた。

 ヤギは逃げない。販売機の中のサンプルをじっと見ている。いや、そう見えただけかもしれない。

「なんか、飲みたいのか?」

 ヤギの目線はコーラに向いているように見えた。

 リュウはコインを入れてコーラのボタンを押した。がたんと音がした。下の取り出し口からペットボトルを取り出すと、ヤギがそっちを向いた。

 「お前、本当に飲みたいんか?」

 リュウはキャップを開けると、おそるおそるヤギの前にペットボトルを差し出した。

 すると、ヤギはすばやくボトルの口の部分をくわえて首を上に向けた。中身がぐびぐびと喉に吸い込まれていく。

 リュウはあっけにとられた。

 ペットボトルはたちまち空になった。

 ヤギはぷいっと首を振って空のペットボトルを放り投げた。床に落ちたボトルが、からからと音を立てて転がっていった。

 リュウがそれに気を取られているうちに、ヤギは暗い廊下を玄関の方へ悠々と歩み去っていった。

 なぜかリュウは動くことができず、闇の奥へと消えていくヤギを呆然として見送った。

 なんだったんだ、いまの?

 すべてが夢のようだった。

 床に転がるペットボトルだけが、それが夢でないことを示していた。 

 「ホントなんだよ、マジ、見たんだ」

 回診に来たクルミに、リュウは昨夜のことを話していた。

 「証拠だってある。ほら、このペットボトル、これをヤギがラッパ飲みしたんだ。エビデンスってやつだ」

 「エビデンス?」

 「そう、いまどきはエビデンスがだいじなんだ。だからこいつを確保した」

 クルミは空のペットボトルに目をやった。

 コーラのラベルのついたどこにでもあるペットボトルだった。

 「八木さん!」

 クルミがリュウを真剣な表情で見つめてからいった。

 「私、信じます!」

 クルミの思いがけない言葉に、リュウの顔がぱっと輝いた。

 やっぱりなにごともエビデンスだとリュウは思った。

 「それって、どんなヤギだったんですか?」

 「どんなって……白くって、毛がけっこう長くって、角があってさ、あと、ひげもあったな」

 「まちがいなくヤギですね」

 「そうだろ」

 「なにしに来たのかしら?」

 「夕べはすごく暑かったから、冷たいもんを飲みたくなったんだと思う。オレの推理だけど」

 「なるほど! 辻褄も合いますね!」

 「だろ!」

 「そのあとヤギはどうなったんですか」

 「うーん、それが気がついたらいなくなっていたんだ」

 「夢みたいですね」

 「うん、夢みたいだろ」

 「夢だったんじゃないですか」

 「あっ?」

 「そんなこといってたの? べつの治療が必要なんじゃない」

 レイがあきれたような口ぶりでいった。

 「でも、八木さん、嘘をついているようには見えませんでした。私わかるんです」

 クルミが頬を紅潮させていった。

 おめでたいやつだ。私もあんたのように生きられたら、人生もっと楽しかっただろうにとレイは思った。

 「病院の中にヤギがいたなんて、もし本当だったら衛生問題だよ。自動販売機でコーラ飲んでた? そんな話、幼稚園児だって信じないよ」

 「でも、八木さん、そのちょっと前にもヤギを見たっていってました。駅前で」

 「駅前? なんで駅前にヤギがいるの?」

 「さあ、でも、駅前のロータリーでヤギが草を食べてたって八木さんいってました」

 レイはその光景を想像した。

 あまりにバカバカしい光景だった。

 「仮に駅前にヤギがいたとして、どこから来たっていうの。牧場とか動物園から逃げたとしたら、ニュースになっているよ。でも、そんなニュース聞いてないし、近所には動物園も牧場もない。クルミ、からかわれたんだよ」

 そのとき、ふいにレイは思い出した。

 中学のとき、リュウのやつ、体育用具室でヤギを見たっていってたっけ。

 ヤギが車椅子を押していて、そこにアラブ人が乗っていて、ヤギのカードくれたとか。

 いま思い出しても、めちゃくちゃな話。

 でも、なんで、そんなどうでもいいこと、私、覚えているんだろう。

 あいつは、私のこと、ろくに覚えていないのに。

 ああ、もううんざり!

 そのときクルミがなにかを思い出したように「あっ」といった。

「牧場ありますよ。ていうか、あったって聞いたことあります。私、ここが地元なんですけど、ひいばあちゃんから、自分が子どもの頃、このあたりはまだ森や畑が広がっていて、牧場もあって、動物がいっぱいいたって聞いたことあります」

 「いつの話よ?」

 「ええと、ひいばあちゃん、いま93歳だから、80年とかもっと前」

 「そんな昔……」

 「そうか! ヤギがタイムスリップしてきたんだ!」

 「クルミ、あんたね……」

 その頃、リュウはまた病院を抜け出して、駅前の商店街のアーケードを歩いていた。

 コンビニに赤飯おにぎりを買いに来たのだった。

 夕暮れ時だったが、暑さはあいかわらずだった。

 買い物を終えて、コンビニから出て、駅前のロータリーの方を見た。

 あのあたりに、ヤギがいたんだよな。

 リュウはなんとはなしに駅へ続く道を歩いていた。

 足の具合はかなりよくなっていた。

 走ったり跳んだりはまだできないし、歩くペースも周りの人たちの半分以下のスピードだったが、それでも順調に回復しているのを感じていた。

 そのとき足元に、自分が歩くのと同じペースで、伴走するかのように動いている丸っこい物体があることに気がついた。

 なんだ?

 リュウは立ち止まった。

 しかしその物体は止まらない。丸っこい物体からとびだした4本の短い足をゆっくり動かして、同じペースでゆっくり前進していく。

 カメだった。

 こんどはカメかよ……。

 そのときリュウは背後になにか気配を感じた。

 ふりかえると、浅黒い顔をしたひげの濃い外国人がいた。

 その顔には見覚えがあった。

 ヤギを探していたあの外国人だった。

 

(第8回へ、つづく・・・)

 

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第1章  あなたが不幸なのはバカだから

承認欲求という病
生きているとは、すでに承認されていること
信仰があると承認欲求はいらなくなる
ツイッターでの議論は無意味
教育するとバカになる
学校は洗脳機関
バカとは、自分をヘビだと勘ちがいしたミミズ
答えなんかない
あなたが不幸なのはバカだから
「テロは良くない」がなぜダメな議論なのか
みんなちがって、みんなダメ
「気づき」は救済とは関係ない
賢さの三つの条件
神がいなければ「すべきこと」など存在しない
勤勉に働けばなんとかなる?

第2章  自由という名の奴隷

トランプ現象の意味
世界が「平等化」する?
努力しないと「平等」になれない
「滅んでもかまわない」と「滅ぼしてしまえ」はちがう
自由とは「奴隷でない」ということ
西洋とイスラーム世界の奴隷制のちがい
神の奴隷、人の奴隷
サウジアラビアの元奴隷はどこへ?
人間の機械化こそが奴隷化
人間による人間への強制こそが問題

第3章  宗教は死ぬための技法

老人は迷惑
老人から権力を奪え
老人は置かれ場所で枯れなさい
社会保障はいらない
宗教は死ぬための技法
自分に価値がない地点に降りていくのが宗教
もらうより、あげるほうが楽しい
お金をあげても助けにはならない
「働かざる者、食うべからず」はイスラーム社会ではありえない
なぜ生活保護を受けない?
金がないと結婚できないは噓
結婚は制度設計
洗脳から逃れるのはむずかしい
幸せを手放せば幸せになれる

第4章  バカが幸せに生きるには

死なない灘高生
寅さんと「ONE PIECE」
あいさつすると人生が変わる?
視野の狭いリベラル
夢は叶わないとわかっているからいい
「すべきこと」をしているから生きられる
バカが幸せに生きるには
三年寝太郎のいる意味
バカと魯鈍とリベラリズム
教育とは役立つバカをつくること
例外が本質を表す
言葉の暴力なんてない
言論の自由には実体がない
バカがAIを作れば、バカなAIができる
差別と区別にちがいはない
あらゆる価値観は恣意的なもの
『キングダム』の時代が近づいている
人間に「生きる権利」などない

第5章  長いものに巻かれれば幸せになれる?

理想は「周りのマネをする」と「親分についていく」
自分より優れた人間を見つけるのが重要
身の程を知れ
長いものには巻かれろ
ほとんどの問題は、頭の中だけで解決できる
権威に逆らう人間は少数派であるべき
たい焼きを配ることで生まれる価値
大多数の人にコペルニクスは参考にならない
為政者が暗殺されるのはいい社会?
謙虚なダメと傲慢なダメはちがう
迫害されても隣の人のマネを貫き通す

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オススメ記事

田中真知×中田考

たなかまち,なかたこう

作家,イスラーム法学者

田中真知 たなか・まち

作家、翻訳家。あひる商会代表。一九六〇年東京都生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。一九九〇年より一九九七年までエジプトに在住。アフリカ・中東各地を取材・旅行して回る。著書に『アフリカ旅物語』(北東部編・中南部編)、『ある夜、ピラミッドで』、『孤独な鳥はやさしくうたう』、『美しいをさがす旅にでよう』、『たまたまザイール、またコンゴ』(第一回斎藤茂太賞特別賞を受賞)旅立つには最高の日』、『増補 へんな毒 すごい毒』、訳書にグラハム・ハンコック『神の刻印』、ジョナサン・コット『転生 古代エジプトから甦った女考古学者』など。現在、立教大学講師も務めている。

 

 

 

中田考 なかた・こう

イスラーム法学者。一九六〇年生まれ。イブン・ハルドゥーン大学客員教授。八三年イスラーム入信。ムスリム名ハサン。灘中学校、灘高等学校卒。早稲田大学政治経済学部中退。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。カイロ大学大学院哲学科博士課程修了(哲学博士)。クルアーン釈義免状取得、ハナフィー派法学修学免状取得、在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部助教授、同志社大学神学部教授、日本ムスリム協会理事などを歴任。現在、都内要町のイベントバー「エデン」にて若者の人生相談や最新中東事情、さらには萌え系オタク文学などを講義し、二〇代の学生から迷える中高年層まで絶大なる支持を得ている。近著に『イスラームの論理』、『イスラーム入門』、『帝国の復興と啓蒙の未来』、『みんなちがって、みんなダメ〜身の程を知る劇薬人生論』、『タリバン 復権の真実』など。

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