世界のエリートはみなヤギを飼っていた【第5回】「『もしもし亀よ』か、『カエルの歌』か」〈田中真知×中田考〉 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

世界のエリートはみなヤギを飼っていた【第5回】「『もしもし亀よ』か、『カエルの歌』か」〈田中真知×中田考〉

田中真知×中田考によるウイズコロナ小説【第5回】

 痛みってのは世界に敵意を抱かせる。

 ベッドの上で目を閉じて、リュウがぼそっといった。

 ちょっと首を動かしても、口を開けても、あくびをしても、痛みが走る。

 事故の直後にくらべれば、ずいぶんましになったけど、それでも、以前なんてことなくやっていたことが、今はどれもこれもそうじゃない。

 オレは屁をするのが好きだ。なんというか、屁をするときには高性能のエンジンをふかすときのような快感がある。 

 アクセルを勢いよく踏み込むように下腹に力を入れると肛門の皮膚が高速で震え、低い唸りとともにガスが放出される。その爽快感といったら!

 でも、いまやそれすらままならない。

 屁をしようと下腹に力を入れると、腰から背中のあたりがきりきり痛む。

 がまんして、屁をすると中身が漏れる。

 自分の体が、ちがうものになっちまった。

 自分の体の一部のように扱い慣れていた愛車が、ある朝起きたら廃車寸前のポンコツにすりかえられていたかようだ。

 屁だけじゃない。

 きのうの夕方、屋上に出て、久しぶりに風にあたった。

 でも、風が痛いんだ。

 風のあたった首筋が針でちくちく刺すように痛むんだ。

 なんだ、この風は? なめとんか?

 でも、屋上にいたほかの患者どもはなんともなさそうだった。

 痛いと感じているのはオレだけだった。

 そのときオレにはわかったんだ。

 痛みってのは世界がオレに向けている敵意なんだ。

 敵意にずっとさらされてきたやつらはどうなる?

 そう、やつらはなにも信用しなくなる、世界も、人間も。

 そしてこんどは自分を痛めつけてきた世界や人間に復讐するんだ。

 暴君や独裁者ってのは、そうやって誕生するんだ……。

 リュウの脳裏には、スタジアムを埋めつくす大観衆が演説するリュウに向けて割れんばかりの拍手をしているシーンが浮かんでいた。

 リュウはわれに返って目を開けた。

 それでもまだ拍手は聞こえている。

 驚いて見回すと、リュウのベッドの足元で田所クルミが手を叩いていた。

 回診の時間だった。

 「すごい! 八木さんって俳優なんですか?」

 「そっ、そう見える?」

 俳優といわれて悪い気はしなかった。

 「むずかしくて、よくわからなかったけど、なんか感動しました」

 クルミが大きな目をキラキラさせてリュウを見た。

 この看護師は、ほかのやつらに比べるとまともそうだな、とリュウは思った。

 クルミは検温や脈のチェックをしながら、

 「さっきの話で思い出したんです。私、独裁者に憧れていたんです」

 「えっ?」

 リュウが聞き返した。

 「そういうタイプの男でもいたとか?」

 クルミは首をふった。

 「私がなりたかったんです、独裁者に」

 「へっ?」

 やっぱり、こいつもまともじゃない。この病院にまともな看護師はいないんか。こいつといい、この前の無礼な看護師といい……。

 そういえば、あの看護師、オレの名前をいきなり呼び捨てにしたよな。どういうつもりだったんだ。あのとき、なにか思い出しかけた気がしたんだけどな。

 「看護師さん」

 「はい」

 「前にここに来ていた看護師、なんていう人かわかります? えっと、地味で、暗い感じで、昔の中学生みたいな髪型した……」

 「地味で、暗い、昔の中学生みたいな……レイ先輩、いえ武内のことでしょうか」

 「レイ……レイ……あっ!」

 なにかを思い出したかのようにリュウは声を上げた。

 

(第6回へ、つづく…)

KEYWORDS:

◆KKベストセラーズ 「中田考×田中真知」好評既刊◆

第1章  あなたが不幸なのはバカだから

承認欲求という病
生きているとは、すでに承認されていること
信仰があると承認欲求はいらなくなる
ツイッターでの議論は無意味
教育するとバカになる
学校は洗脳機関
バカとは、自分をヘビだと勘ちがいしたミミズ
答えなんかない
あなたが不幸なのはバカだから
「テロは良くない」がなぜダメな議論なのか
みんなちがって、みんなダメ
「気づき」は救済とは関係ない
賢さの三つの条件
神がいなければ「すべきこと」など存在しない
勤勉に働けばなんとかなる?

第2章  自由という名の奴隷

トランプ現象の意味
世界が「平等化」する?
努力しないと「平等」になれない
「滅んでもかまわない」と「滅ぼしてしまえ」はちがう
自由とは「奴隷でない」ということ
西洋とイスラーム世界の奴隷制のちがい
神の奴隷、人の奴隷
サウジアラビアの元奴隷はどこへ?
人間の機械化こそが奴隷化
人間による人間への強制こそが問題

第3章  宗教は死ぬための技法

老人は迷惑
老人から権力を奪え
老人は置かれ場所で枯れなさい
社会保障はいらない
宗教は死ぬための技法
自分に価値がない地点に降りていくのが宗教
もらうより、あげるほうが楽しい
お金をあげても助けにはならない
「働かざる者、食うべからず」はイスラーム社会ではありえない
なぜ生活保護を受けない?
金がないと結婚できないは噓
結婚は制度設計
洗脳から逃れるのはむずかしい
幸せを手放せば幸せになれる

第4章  バカが幸せに生きるには

死なない灘高生
寅さんと「ONE PIECE」
あいさつすると人生が変わる?
視野の狭いリベラル
夢は叶わないとわかっているからいい
「すべきこと」をしているから生きられる
バカが幸せに生きるには
三年寝太郎のいる意味
バカと魯鈍とリベラリズム
教育とは役立つバカをつくること
例外が本質を表す
言葉の暴力なんてない
言論の自由には実体がない
バカがAIを作れば、バカなAIができる
差別と区別にちがいはない
あらゆる価値観は恣意的なもの
『キングダム』の時代が近づいている
人間に「生きる権利」などない

第5章  長いものに巻かれれば幸せになれる?

理想は「周りのマネをする」と「親分についていく」
自分より優れた人間を見つけるのが重要
身の程を知れ
長いものには巻かれろ
ほとんどの問題は、頭の中だけで解決できる
権威に逆らう人間は少数派であるべき
たい焼きを配ることで生まれる価値
大多数の人にコペルニクスは参考にならない
為政者が暗殺されるのはいい社会?
謙虚なダメと傲慢なダメはちがう
迫害されても隣の人のマネを貫き通す

※上のカバー画像をクリックするとAmazonサイトにジャンプします

オススメ記事

田中真知×中田考

たなかまち,なかたこう

作家,イスラーム法学者

田中真知 たなか・まち

作家、翻訳家。あひる商会代表。一九六〇年東京都生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。一九九〇年より一九九七年までエジプトに在住。アフリカ・中東各地を取材・旅行して回る。著書に『アフリカ旅物語』(北東部編・中南部編)、『ある夜、ピラミッドで』、『孤独な鳥はやさしくうたう』、『美しいをさがす旅にでよう』、『たまたまザイール、またコンゴ』(第一回斎藤茂太賞特別賞を受賞)旅立つには最高の日』、『増補 へんな毒 すごい毒』、訳書にグラハム・ハンコック『神の刻印』、ジョナサン・コット『転生 古代エジプトから甦った女考古学者』など。現在、立教大学講師も務めている。

 

 

 

中田考 なかた・こう

イスラーム法学者。一九六〇年生まれ。イブン・ハルドゥーン大学客員教授。八三年イスラーム入信。ムスリム名ハサン。灘中学校、灘高等学校卒。早稲田大学政治経済学部中退。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。カイロ大学大学院哲学科博士課程修了(哲学博士)。クルアーン釈義免状取得、ハナフィー派法学修学免状取得、在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部助教授、同志社大学神学部教授、日本ムスリム協会理事などを歴任。現在、都内要町のイベントバー「エデン」にて若者の人生相談や最新中東事情、さらには萌え系オタク文学などを講義し、二〇代の学生から迷える中高年層まで絶大なる支持を得ている。近著に『イスラームの論理』、『イスラーム入門』、『帝国の復興と啓蒙の未来』、『みんなちがって、みんなダメ〜身の程を知る劇薬人生論』、『タリバン 復権の真実』など。

この著者の記事一覧

RELATED BOOKS -関連書籍-

タリバン 復権の真実 (ベスト新書)
タリバン 復権の真実 (ベスト新書)
  • 中田 考
  • 2021.10.20
みんなちがって、みんなダメ
みんなちがって、みんなダメ
  • 中田 考
  • 2018.07.25