世界のエリートはみなヤギを飼っていた【第5回】「『もしもし亀よ』か、『カエルの歌』か」〈田中真知×中田考〉 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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世界のエリートはみなヤギを飼っていた【第5回】「『もしもし亀よ』か、『カエルの歌』か」〈田中真知×中田考〉

田中真知×中田考によるウイズコロナ小説【第5回】

 「レイ先輩、この前の研修すばらしかったです!」

 その声に、勤務を終えて帰ろうとしていたレイがふりむいた。田所クルミだった。

 レイはクルミが苦手だった。

 クルミとはキャリアは1年しかちがわない。それなのに、クルミはなにかというレイを「先輩」と呼んで慕い、レイのすることなすことにいちいち感心し、それを素直に口にする。それがレイにはうざったかった。

 「この前の研修って、亀淵先生の?」

 「はい!」

 クルミが大きな目をきらきらさせてレイを見上げた。この目が苦手だ。

 「だって研修どころじゃなかったでしょ」

 「いえ、先輩の指示がすばらしかったです。あんなふうにオンラインで冷静に指示を出せるなんて、さすがです。これまでの研修で一番ためになりました」

 レイは思い出した。あのときは倒れてしまった亀淵先生の蘇生処置を、その場にいた娘さんにオンラインで指示したのだ。

 「みごとでした。おかげ蘇生されたんですから。先輩は先生の命の恩人ですよ」

 「いやいや、たいしたことしてないし」

 「そんなことないです。先輩すごかったです。呼吸や脈がないのを確認させて、心臓マッサージまでオンラインで指示するなんて、私なんてとてもできません。すごく勉強になりました。尊敬します」

 「ありがと」

 レイはもう行こうとした。

 クルミには空気を読めないところがある。だが、クルミが人を疑うことを知らない素直な性格であることはレイにもわかっていた。それだけにクルミといると、疑り深い自分のひねくれた性格がいやになってくるのだった。

 「『もしもし亀よ』だったんですね?」

 クルミがいった。

 「えっ?」

 「心臓マッサージのリズム、『もしもし亀よ』の歌に合わせるといいって、先輩が先生の娘さんに指示していましたよね。それって私も習っていたはずなのに勘違いしていました」

 心臓マッサージのリズムはけっこう速い。慣れないうちは『もしもし亀よ、亀さんよ、世界のうちでお前ほど……』と頭の中で歌いながらするといい。亀淵先生の娘さんにもとりあえず、そのリズムで心臓マッサージするようにとオンラインで指示したのだった。

 「でも、私、『もしもし亀よ』が、いつのまにか『カエルの歌』にすり替わっていました」

 クルミがいった。

 「カエルの歌?」

「はい!」

 レイは『カエルの歌』を頭の中で歌ってリズムをとってみた。

 カエルの歌が、聞こえてくるよ、くわ、くわ、くわ、くわ……。

 遅すぎるじゃろ!

 声には出さなかったが思わず故郷の方言が出た。

 「この前も患者さんに心臓マッサージしながら、なんかちがうなと感じていたんです」

 やったんか! 死んでまうで!

 レイは青くなった。

 「でも、患者さん、息を吹き返したんです」

 「カエルの歌で?」

 「はい、カエルの歌で。歌いながらマッサージしたのがよかったのかもしれません」

 心停止の患者にカエルの歌を歌いながら? クルミ、あんたって……。

 そのとき、レイの頭にある考えが浮かんだ。

 リュウのことだった。

 レイはこのままだと自分がリュウの担当にされるかもしれず、それが憂鬱だった。

 この前、思わず怒鳴りつけてしまった手前、顔を合わせるのが気まずくもあった。

 でも、クルミなら、リュウの相手もできるかもしれない。

 「クルミ」

 「はい!」

 「お願いがあるの。たいしたことじゃないんだけど」

 「なんでもいってください」

 「じつはね、302号に交通事故の若い男性の患者がいるんだけど、このところ私たてこんでいて、担当お願いしてもいいかな」

 「お安い御用です」

 「助かるわ。婦長にもいっておくから」

 「先輩の力になれるなら喜んで!」

 クルミは快活に返事した。

 ちらっと気がとがめた。

 だが、毒をもって毒を制すのも一興だ。

 マスクの下のレイの口元がかすかにゆるんだ。

次のページ痛みってのは世界に敵意を抱かせる。

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◆KKベストセラーズ 「中田考×田中真知」好評既刊◆

第1章  あなたが不幸なのはバカだから

承認欲求という病
生きているとは、すでに承認されていること
信仰があると承認欲求はいらなくなる
ツイッターでの議論は無意味
教育するとバカになる
学校は洗脳機関
バカとは、自分をヘビだと勘ちがいしたミミズ
答えなんかない
あなたが不幸なのはバカだから
「テロは良くない」がなぜダメな議論なのか
みんなちがって、みんなダメ
「気づき」は救済とは関係ない
賢さの三つの条件
神がいなければ「すべきこと」など存在しない
勤勉に働けばなんとかなる?

第2章  自由という名の奴隷

トランプ現象の意味
世界が「平等化」する?
努力しないと「平等」になれない
「滅んでもかまわない」と「滅ぼしてしまえ」はちがう
自由とは「奴隷でない」ということ
西洋とイスラーム世界の奴隷制のちがい
神の奴隷、人の奴隷
サウジアラビアの元奴隷はどこへ?
人間の機械化こそが奴隷化
人間による人間への強制こそが問題

第3章  宗教は死ぬための技法

老人は迷惑
老人から権力を奪え
老人は置かれ場所で枯れなさい
社会保障はいらない
宗教は死ぬための技法
自分に価値がない地点に降りていくのが宗教
もらうより、あげるほうが楽しい
お金をあげても助けにはならない
「働かざる者、食うべからず」はイスラーム社会ではありえない
なぜ生活保護を受けない?
金がないと結婚できないは噓
結婚は制度設計
洗脳から逃れるのはむずかしい
幸せを手放せば幸せになれる

第4章  バカが幸せに生きるには

死なない灘高生
寅さんと「ONE PIECE」
あいさつすると人生が変わる?
視野の狭いリベラル
夢は叶わないとわかっているからいい
「すべきこと」をしているから生きられる
バカが幸せに生きるには
三年寝太郎のいる意味
バカと魯鈍とリベラリズム
教育とは役立つバカをつくること
例外が本質を表す
言葉の暴力なんてない
言論の自由には実体がない
バカがAIを作れば、バカなAIができる
差別と区別にちがいはない
あらゆる価値観は恣意的なもの
『キングダム』の時代が近づいている
人間に「生きる権利」などない

第5章  長いものに巻かれれば幸せになれる?

理想は「周りのマネをする」と「親分についていく」
自分より優れた人間を見つけるのが重要
身の程を知れ
長いものには巻かれろ
ほとんどの問題は、頭の中だけで解決できる
権威に逆らう人間は少数派であるべき
たい焼きを配ることで生まれる価値
大多数の人にコペルニクスは参考にならない
為政者が暗殺されるのはいい社会?
謙虚なダメと傲慢なダメはちがう
迫害されても隣の人のマネを貫き通す

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田中真知×中田考

たなかまち,なかたこう

作家,イスラーム法学者

田中真知 たなか・まち

作家、翻訳家。あひる商会代表。一九六〇年東京都生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業。一九九〇年より一九九七年までエジプトに在住。アフリカ・中東各地を取材・旅行して回る。著書に『アフリカ旅物語』(北東部編・中南部編)、『ある夜、ピラミッドで』、『孤独な鳥はやさしくうたう』、『美しいをさがす旅にでよう』、『たまたまザイール、またコンゴ』(第一回斎藤茂太賞特別賞を受賞)旅立つには最高の日』、『増補 へんな毒 すごい毒』、訳書にグラハム・ハンコック『神の刻印』、ジョナサン・コット『転生 古代エジプトから甦った女考古学者』など。現在、立教大学講師も務めている。

 

 

 

中田考 なかた・こう

イスラーム法学者。一九六〇年生まれ。イブン・ハルドゥーン大学客員教授。八三年イスラーム入信。ムスリム名ハサン。灘中学校、灘高等学校卒。早稲田大学政治経済学部中退。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。カイロ大学大学院哲学科博士課程修了(哲学博士)。クルアーン釈義免状取得、ハナフィー派法学修学免状取得、在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、山口大学教育学部助教授、同志社大学神学部教授、日本ムスリム協会理事などを歴任。現在、都内要町のイベントバー「エデン」にて若者の人生相談や最新中東事情、さらには萌え系オタク文学などを講義し、二〇代の学生から迷える中高年層まで絶大なる支持を得ている。近著に『イスラームの論理』、『イスラーム入門』、『帝国の復興と啓蒙の未来』、『みんなちがって、みんなダメ〜身の程を知る劇薬人生論』、『タリバン 復権の真実』など。

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