◆「瓦礫の下からの声」の謎

 検案書のリストを分析すると、窒息が原因で亡くなった人が最も多い地域が分かった。 神戸市の東部、古くからの住宅街・神戸市東灘区だ。
 北は六甲山、南は大阪湾に挟まれた東灘区は、淡路島北部の震源から出た2つの地震波がちょうどぶつかった場所だったと考えられ(神戸市編「阪神・淡路大震災発生のメカニズム」 『阪神・淡路大震災の概要及び復興』など)、とくに激しい揺れを観測した。そのため建物が被害を受けた割合が神戸市で最も多く、全壊1万3687件、半壊5538件にのぼった。その東灘区で当時の状況を取材すると、いろんな人から同じような証言が寄せられた。

 地震発生直後、倒壊した家屋の下から「声がした」というのだ。 現在、書道教室を主宰するNさん(女性)も「瓦礫の下の声」を記憶している一人だ。
 父と、母を震災で亡くしたNさんだが、仏壇の中に大切にしまっている両親の検案書の「死亡の原因」欄はともに「窒息死」と書かれている。検案書を医師から受け取って、最初に窒息の文字を見た時に感じた違和感を、Nさんは今も覚えている。
「ええっ、と思いましたね。地震で窒息ってどういうことなのかな、と戸惑いました。両親は喉を絞められたわけでも、口を塞がれたわけでもない、きれいな死に顔でしたから」

 ただ、思い当たることもないわけではなかった。倒壊した築50年の実家の下敷きになった両親だが、Nさんが10分も経たず駆けつけた時には、まだ瓦礫の下にいて、近所の人たちが必死に助け出そうとしてくれていた。Nさんはそれを見つつも、同じ町内で妹夫婦と二人の子どもが生き埋めになっていると聞き、そちらへ駆けつけた。まさに極限状態だった。妹の一家4人は2時間ほどで全員が助け出された。その間に、瓦礫の下から運び出された両親は、すでに息絶えていた。ようやく駆けつけたNさんは両親の遺体と対面することになったが、二人の遺体には目立った外傷や大量の出血をしたような痕はなかった

 その時、Nさんは近所の人から思いがけない両親の最期の様子を聞かされた。母の声が瓦礫の下から聞こえていたというのだ。
「お父さんの声は一度も聞こえなかったけど、お母さんの『助けてー』、『お父さん、助けてー』という声は瓦礫の外まで届いたで、と教えてくれました。どれくらいの時間かはっきり分からないけど、地震の直後は確かに聞こえたんだそうです」

 少なくとも母親は、しばらくの間、瓦礫の下で生存していたことになる。Nさんにとって、それは辛い事実だった。
「母は日頃から『長患いで子どもに迷惑かけないように、私はころっと死にたいねん』とずっと言ってました。本人の気持ちを考えると、どうしてこういうことになったんだと、 納得しないまま亡くなっていった気がします。寒くて、冷たくて、痛いと思いながら、瓦礫の下で旅立って行ったのかなと考えると、今でもしんどい気持ちになります」
『震度7 何が生死を分けたのか』より構成)