人生にゆとりができたならば、旅に出かけるのもいい。
 時に寄り道しながらの気ままな旅は、出会いと感動の連続だろう。
 かの明智光秀ゆかりの越前は、史跡や旨いものが堪能できて申し分なしだ。

謎多き光秀の人柄を垣間見て
戦国の世に思いを馳せる

一乗谷朝倉氏遺跡 御所・安養寺跡
足利義昭が住まいとした御所は、格調高い学問サロンとして確立されていた安養寺につくられたと考えられている。建物、石垣、溝、池など寺院跡の一部が残っている。 写真提供:福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館

 明智光秀という人物は出身地も生年も定かでなく、謎に包まれた部分が多いのだが『遊行三十一祖京畿御修行記』(ゆぎょうさんじゅういちそけいきごしゅぎょうき)には「美濃の土岐(とき)一族の牢人だった明智十兵衛尉(じゅうべえのじょう)が越前朝倉義景(あさくらよしかげ)を頼って、長崎称念寺(しょうねんじ)前に10年間居住していた」とあり、称念寺門前に住んでいたことがわかっている。後世の軍記では、斎藤義龍(さいとうよしたつ)に美濃の明智城を追われた後、ここで妻の煕子(ひろこ)と寺子屋をして浪人生活を送っていたとされている。生活のために煕子が美しい黒髪を売って光秀を支えたとの伝承があり、この話を聞いた松尾芭蕉が光秀のことを詠んでいる。境内には句碑があるので見ておきたい。

称念寺
越前を代表する時宗寺院。光秀が幼いころ末寺の西福庵に身を寄せており、その縁で門前に住んだと伝わる。境内には鎌倉時代末から南北朝時代の武将・新田義貞の墓所墓石がある。
御本尊は新田義貞公。毎年6月末から7月上旬にかけて年忌法要を行う。句碑には「月さびよ 明智が妻の 咄はなしせむ」の文字が。松尾芭蕉が光秀の黒髪伝説に感銘を受けて詠んだ句。

 越前旅の食事は、かつて大本山永平寺(えいへいじ)に油あげや豆腐を納めていた谷口屋でアツアツの大きな油あげをぜひ。一辺が14㎝、厚さが3㎝あるので、まずはそのまま、次に越前塩をつけ、続いて醤油をかけた大根おろしと一緒に…と〝味変〞しながら楽しもう。

谷口屋本店
越前おろしそば御膳

 

 腹が満たされたら、次は一乗谷朝倉氏遺跡(いちじょうだにあさくらしいせき)へ。博識多才だった光秀は医学にも精通し、朝倉家が開発した薬「セイソ散」を知っていたと考えられる史料が近年発見されている。また、後の室町幕府15代将軍足利義昭(よしあき)が朝倉氏に上洛の協力を求めてやってきた際、御所・安養寺(あんようじ)に9カ月住んでいたが、このとき光秀が義昭の足軽として仕えていたともいわれる。安養寺や御所に出入りしたであろう光秀と朝倉氏の深い関係性が見えてくる。

 一乗谷朝倉氏遺跡の近くには、光秀を祀る明智神社と柴田勝家(しばたかついえ)の御木像(おんもくぞう)を安置する西蓮寺(さいれんじ)がある。越前は信長の一向一揆討伐の命で侵攻されたが、戦禍から免れたのは光秀の依頼で柴田勝家・勝定(かつさだ)から安堵状(あんどじょう)が出されたからだと伝わる。謀反者のイメージと反する伝説は、実に興味深い。

明智神社
小さな祠に13㎝ほどの木彫りの明智光秀坐像を安置する。信長の命による一向一揆討伐から守ってくれた光秀公を400年以上にわたり秘仏として崇め、明治19年に光秀の屋敷跡に祠を建てた。
明智光秀坐像(写真提供:福井市明智神社奉賛会)

 締めくくりは、朝倉氏城下町近くの安本酒造へ。嘉永6年創業の蔵では、地元の五百万石を白山水系の伏流水で淡麗旨口の酒を醸す。軽やかな旨味、酸味を追求した白岳仙(はくがくせん)を買い求め、旅の思い出を肴に晩酌といきたい。

安本酒造
杜氏渾身の2品、純米大吟醸白岳仙「黒くろ鉄がね」(左)と純米吟醸「荒あら走ばしり」(右)。荒走は、絞ったライブ感を大切にしたフレッシュな酒。ラベルも秀逸。

 

案内人/学芸員・石川美咲さん
専門分野は戦国大名権力論。美濃土岐氏・斎藤氏、越前朝倉氏に関する研究実績を有す。