東京新聞記者・望月衣塑子氏出演の映画『 i  -新聞記者ドキュメント-』が、現在公開されている。映画には、籠池夫妻、元文科省次官・前川喜平氏、菅官房長官などこの数年、政治の世界で話題を集める人々が多く登場。沖縄・サンゴ問題等を取材する望月記者を追いながら、メディアと政治の「今」が描かれている。監督は、オウム真理教がテーマの映画『A』を始め、『FAKE』『3.11』等で問題提起を投げかけ続ける森達也氏。森監督に作品に至るまでの思いをインタビューした。

Q——今回の映画『 i  -新聞記者ドキュメント-』では、東京新聞記者・望月衣塑子さんが中心人物となっています。「新聞記者・望月衣塑子はなぜ、嫌われるのか? あるいは、なぜ彼女を応援したくなるのか?」を入り口に、人によって様々なテーマに思いを巡らせる映画だと思いますが、森監督が、望月さんを「この人、面白い」と思われたきっかけは? (Q:書籍編集部)

森達也監督(以下、「森監督」)  6、7年前、望月さんが書いた本『武器輸出と日本企業』(角川新書)で、帯に推薦文を書きました。この本で、望月さんは、防衛装備庁を発足し前のめりに進む防衛省と、戸惑い足並みが揃わない日本企業の実態を示しました。日本がいかに武器大国になろうとしているのか、それまで触れられなかったところを鋭く取材しています。発見がたくさんありました。人がしないことに興味を持つ——その姿勢が面白いと感じました。それから、やっぱりパーソナリティの魅力ですね。その本の出版イベントで初めて会ったのですが、第一印象は「ほんとに、よくしゃべる人だなあ」でした(笑)。

森 達也(もり・たつや)
映画監督・作家・明治大学特任教授。1956年、広島県生まれ。立教大学在学中に映画サークルに所属、1986年にテレビ番組制作会社入社、その後、フリーとなる。1980年代前半から、テレビ・ディレクターとして主に報道とドキュメンタリーのジャンルで活躍。1988年のドキュメンタリー映画『A』は、ベルリンを始め世界各国の国際映画祭で高い評価を得る。2001年、その続編となる『A2』で、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。その後もテレビドキュメンタリーの『放送禁止歌』、映画『FAKE』など話題作を発表。書籍は、『職業欄はエスパー』(カドカワ文庫)、『ドキュメンタリーは嘘をつく』(草思社)第33回講談社ノンフィクション賞受賞の『A3』(集英社インターナショナル)、『ニュースの深き欲望』(朝日新聞出版)他多数。
© 2019「i-新聞記者ドキュメント-」製作委員会

Q——今回、映画の撮影で、2018年12月から2019年5月まで半年間、望月さんに密着されたわけですが、イメージは当初と変わりましたか? 

森監督  当初と同じ、とにかく無言でいることがほとんどない。これまで僕の映画の被写体はオウムの荒木浩さんとかゴーストライター騒動の佐村河内守さんとか、どちらかといえば寡黙な人が多かったので、これはちょっと面食らいました。
  沈黙は内面の揺れや悩みを外在化します。観る側の想像力も喚起する。人間は多面的です。本当は気が弱いのに強く見せようとしたり、その逆ももちろんあるし、色んなアンビバレンスが生まれる。そこが面白かったりするわけですが、望月さんの場合、良い意味でも悪い意味でも、表裏がない。彼女の側にいる人、良く知る人で、彼女を嫌いな人はいないと思います。ただ、嫌いじゃないけど、「あんまり、こっちに来ないで欲しい」という人は、いるかもしれない(笑)。とにかく、僕の百倍はメンタルが強い。 
 それから「個」が強い。言い換えると集団に馴染めない人、どうしても同調できない人——ですね。でも、望月さんの取材する様子を撮りながら、「ジャーナリストとしては当たり前のことをしているだけ」という思いが強くなりました。

Q——森監督ご自身が、内閣官房長官の記者会見を、どうにかして撮影しようと、あらゆる方法を試みる様子も興味深かったです。フリージャーナリストたちが会見に参加すること自体が難しく、記者クラブのメンバーによる「審査」があり、全員一致の承諾が必要であるとか、参加できても質問は許されないなど、メディアと政治家の関係を考えさせる場面もありました。望月さん自身は、「(自分は)所属が政治部ではなく、社会部だったことで、会見でも“空気を読まずに”疑問をぶつけることが出来た」ことを書籍『THE 独裁者』(KKベストセラーズ)の中でも語っています。

森監督  望月さんは、菅官房長官に執拗に質問をし続け、その攻防が話題を集めました。でも、冷静に考えると、そうしたことで望月さんが注目されること自体がおかしいですよね。ジャーナリストが、(会見で)疑問をぶつけることは当たり前ですから。他の新聞記者たちは、もう少し自分勝手に振舞ってもいいのでは、と思います。みんな記者というよりも組織人です。だからジャーナリズムは停滞していく——そんな風に考えています。

Q——森監督は、報道におけるテレビや新聞といったメディアの役割について、どうお考えですか? ドキュメンタリー映画と、そうしたメディアとの一番の違いは何でしょうか?

森監督  報道においてテレビと新聞は、メインストリート・ジャーナルです。時おり勘違いされるけれど、僕はジャーナリストではない。あくまでも映画監督です。本も書くから「表現行為従事者」ともいえます。自分自身の主観・思い、自分の表現を最優先しています。これはジャーナリストが目指すべきベクトル(方向)とは違います。客観的にバランスを考え、可能な限り中立性や公正を目指す。ジャーナリストはそうあるべきです。
 ただし、そもそも絶対的な中立は達成できません。だって両端は誰が決めるのか。時代や国によっても両端は変わります。公正も同じ。相対的なんです。ジャーナリストはあくまでも、達成できないことをしっかりと自覚しながら、できるかぎり中立で公正を目指す存在だと思っています。
 ドキュメンタリーは違います。優先順位としては、自分の主観や世界観を最上位に置かねばならない。だって「表現」ですから。確かに、ジャーナリズムっぽいドキュメンタリーもたくさんあって、その境界はグラデーションです。最終的には、作る側がどのように自分と自作品を規定するかです。つまり自己申告ですね。

Q——「新聞は社会の公器」と言われるように、客観性や信頼性が求められるわけですね。それでは、新聞記者個人の感情と客観性のバランスの取り方は? 

森監督 僕は、ジャーナリストには客観性と主観性、両方が必要だと考えています。
 100%客観的なジャーナリストなんて存在しません。先程も言った通り、そもそも、そういう人間は存在しない。
 現場に行って、自分の思ったことや気付いたこと、怒りの感情を持ったり、これはひどいと嘆息したこと。それらはつまり主観です。このときの主語は、当然ながら一人称単数です。この主観をいかに客観的な記事にするか、そこにはスキルが必要なんでしょうけど、両方なくてはいけないもの。望月さんには両方がある。

Q——映画のワンシーンで、外国特派員記者が望月さんに発した質問は、実に印象的でした。「あなたは東京新聞の人ですか? それともジャーナリストの方ですか?」

森監督  外国人ジャーナリストにとって、どこに所属するかは最優先順位ではない。色々な組織を転々としながら、ステップアップしていくのが当たり前のことです。でも日本では、終身雇用的なものが、いまだにあります。日本の記者たちは、ジャーナリストという職を選択したんじゃなくて、メディアとカテゴライズされる会社に入るという選択をした。外国人記者からはそう見えています。
 ただし、組織ジャーナリズムは必要です。記者たちがみなフリーになってしまったら、予算がかかる海外取材は難しくなるし、それこそ官邸にも入れない。時にはチームプレイも重要です。だから組織に所属しながらいかに個を保つか、それがメディアに帰属している人たちの重要な使命です。でもそれが機能していない。

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