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独自の道を歩んだイギリスの水道事業 ~完全民営化の黄信号~

日本の水が危ない⑭

 とはいえ、公的機関による監督が機能してきたとしても、そのことと完全民営化の効果は別問題だ。2017年に発表された調査報告で、ロンドン大学のケイト・ベイリス博士らは「イギリスの水道事業が公営だったなら年間23億ポンド(約3220億円)のコスト削減になった」と結論づけた。なぜ、完全に民営化しているのに、イギリスの水道事業者はコストが高くなりやすいのか。その主な理由として、ベイリス博士らは借り入れの多さを指摘する。

 ベイリス博士らの調査によると、イギリスの水道事業者の資産(エクイティ)は1990年に200億ポンドをやや下回り、これは2010年代半ばまでほとんど変化がなかった。その一方で、1990年にほぼゼロに近かった水道事業者の借入額は、2010年代半ばには400億ポンドを上回った。つまり、イギリスの水道事業者は借り入れを増やすことで水道施設への投資を増やしてきたわけだが、借入額の多さは結局コストとなり、水道料金にはね返ってきたというのだ。2016年段階でベイリス博士らの調査対象になった下水道9社は、利払いだけで収益の7%にあたる14億5000万ポンドを返済にあてている。

 念のために付言すれば、これは放漫経営というほどのレベルではない。一般的に、企業の自己資本に占める負債額の割合(ギアリング比率)は100~150以下に抑えるべきといわれるが、ベイリス博士らが調査したイギリスの下水道事業者の場合、2016年段階で最も高かったのはテムズ・ウォーターの80%で、9社中5社は75%未満だった。

 とはいえ、事前に想定されていたほど水道事業者が投資を集められず、借り入れを増やしてきたことは確かだ。借り入れの多さは、収益のあがりにくさにつながる。こうしたいびつな構造は政府財政への負担にもなっており、2016年段階で9社が支払った税金は17億ポンドで、これは売上高の8%だった。

 ちなみに、ギアリング比率が9社のなかでとりわけ高く、75%を上回っていた4社はいずれも、ジャージーやケイマン諸島などの租税回避地に拠点をもつ企業からの投融資に依存しており、水メジャーの一角を占めるテムズ・ウォーターもその一つだ。これはイギリスの水道事業が、一部とはいえ外国の機関投資家の食い物にされている構図をうかがわせる。

 ただし、一旦完全に民営化した水道事業を公営に戻そうと思えば、そのハードルはコンセッション方式の場合より高い。イギリスのシンクタンク、ソーシャル・マーケット財団は、イギリスの水道事業を再公営化する場合のコストを、民間事業者の資産の買い上げや長期の投資などを含めて、900億ポンド(約124兆円)と試算している。これに照らせば、世界に類のない完全民営化を実現させたイギリスの水道事業は「前門の虎、後門の狼」に直面しているといえる。

KEYWORDS:

『日本の「水」が危ない』
著者:六辻彰二

 

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 昨年12月に水道事業を民営化する「水道法改正案」が成立した。
 ところが、すでに、世界各国では水道事業を民営化し、水道水が安全に飲めなくなったり、水道料金の高騰が問題になり、再び公営化に戻す潮流となっているのも事実。

 なのになぜ、逆流する法改正が行われるのか。
 水道事業民営化後に起こった世界各国の事例から、日本が水道法改正する真意、さらにその後、待ち受ける日本の水に起こることをシミュレート。

 

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六辻彰二

むつじしょうじ

国際政治学者

1972年生まれ。博士(国際関係)。国際政治、アフリカ研究を中心に、学問領域横断的な研究を展開。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。著書、共著の他に論文多数。政治哲学を扱ったファンタジー小説『佐門准教授と12人の政治哲学者―ソロモンの悪魔が仕組んだ政治哲学ゼミ』(iOS向けアプリ/Kindle)で新境地を開拓。Yahoo! ニュース「個人」オーサー。NEWSWEEK日本版コラムニスト。


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