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お墓に見える豪傑・小栗又一と奥様の夫婦関係

第225回 季節と時節でつづる戦国おりおり

 パソコンが壊れました(突然)。ちょうど高山右近の命日、2月5日(旧暦の慶長20年=元和1年1月8日に死去)の事であります。右近重友は先月22日にローマ法王庁によってカソリックの“福者”に列せられましたが、私のパソコンには祝福のおこぼれは無かったようであります。

 というわけで今回の更新から、原稿はデスクトップでなくおニューのノートPCで書いております。執筆環境はなんとか復活したものの旧PCの内蔵ハードディスクのデータの取り外しとサルベージにまだとりかかれておりませんので、金沢での写真データが使えない、と。ですので、「ウフフ、金沢へ」の続きは後日に回したいと存じます。スマホとデジカメのメモリに残っている分を先にアップしちゃいましょう。

 先だって埼玉県の大宮に行く用事がございまして、時間調整の間に以前から行きたかった場所に行って参りました。JR大宮駅から徒歩20分くらい? 大成町の普門院というお寺です。

 

 写真は普門院さんが廃絶していたのを再興したという、小栗忠政のお墓。

 忠政は徳川家康の家臣で、大成を領地として与えられて普門院の再開基となったそうです。この忠政さん、通称を又一というのですが、常に先陣切って敵に切り込み、家康から「また一番手柄か。又一と名乗れ」と言葉をたまわったのがその所以です。以降、代々の小栗家当主が「又一」を称しつづけました。幕末の大政治家・小栗忠順は彼の子孫ですが、彼も通称は「又一」でした。こちらには忠順の墓もあります。

 

 面白いのは、写真のように左の忠政のお墓は右の奥様のお墓と相対している事ですね。隣合わせで仲良く、というのはしばしば見ますが、向い合っているというのは珍しい。

 お互いを見つめ合うほどラブラブだったという事なら、バレンタインの季節にふさわしく甘いお話なのですが、この忠政さん、駿河田中城攻めで抜け駆けをして謹慎させられたり、大坂冬の陣直前に船場の横堀際まで物見に出掛けて行ってそのあまりの豪胆さに敵を呆れさせたりと、なかなかな無茶っぷりを誇った人物です。

 ひょっとしたら奥様が「このダンナはちゃんと向かい合って見張っていないと何するかわからん」と考えて、そういう配置にしたのかも知れませんね。死んでから奥様の監視を受け続けるという運命に、忠政さんも苦笑するのみかも。

 

 

 

 

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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