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国宝級の文化財たちを襲った無慈悲な炎 ~涙の首里城焼失から再建に向けて~

戦火で燃えた歴史的建造物たち

――琉球のシンボル・首里城火災

 焼失した首里城の再建を目指して、クラウドファンディングで支援金を集めるなど、“復活”に向けての動きが始まった。
 放火によって燃えた金閣寺は、寄付金などによって再建を実現するなど、焼失から復活を遂げた例もある。(『一個人』2017年9月号 より引用)

【焼失した旧国宝】国宝級の文化財を襲った無慈悲な炎

■新国宝指定の1年前に起きた悲劇
『鹿苑寺(金閣寺)』1950年/放火

鹿苑寺(金閣寺)。1397年(応永4)、室町幕府3代将軍の足利義満が、河内の領地と交換に西園寺を譲り受けの創建。1994年には、世界遺産に登録されている。

 金閣寺といえば、建物の内外に金箔が貼られた3層の楼閣建築である舎利殿(金閣)。1929年(昭和4)に、旧国宝に指定されている。だが、この舎利殿は55年(昭和30年)に再建されたもの。放火によって、消失してしまった。

 三島由紀夫の小説『金閣寺』のモデルにもなった金閣寺放火事件は50年(昭和25)に起きた。21歳の青年による放火で舎利殿が全焼し、01年(明治34)に旧国宝に指定された木造足利義満坐像などの文化財も消失してしまった。

 犯人は、金閣寺の見習い僧侶兼大学生の青年。切腹自殺を図ったところを発見され、一命を取り留めた。

 事件が起きたのは文化財保護法が施行されたとし、新国宝が指定される1年前だった。不運というしかない。

 全国から寄付金や浄財によって、火災から5年後には再建を果たしている。

 

■わが国の文化財保護を左右した象徴的な事件
『法隆寺金堂壁画』1950年/失火​

法隆寺。『法隆寺金堂壁画』は7世紀末ごろの仏教壁画。インドのアジャンター石窟群の壁画、敦煌莫高窟の壁画とともに、アジア古代仏教壁画を代表する作品だった。

 1955年(昭和30)に制定された「文化財防火デー」は、毎年1月26日に防火・避難の訓練を行うもの。そのきっかけとなったのが49年(昭和24)1月26日に起きた法隆寺金堂の火災だった。

 この出火により、金堂外陣の土壁に描かれていた12面の外壁が焼損し、障壁の羅漢図は跡形もなく粉砕してしまった。焼け焦げたオリジナルの壁画は法隆寺の収蔵庫に保管されているが、色彩が失われた壁画に芸術的価値はもはやない。

 この事件は、文化財保護に携わる人々に衝撃を与え、翌年の文化財保護法の制定につながっていく。

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