■もうひとつの海兵隊、ソ連の「海軍歩兵」

スターリングラード戦に投入され、モシン・ナガン小銃を携えてヴォルガ川から上陸する海軍歩兵部隊。この写真のごとく、部隊によっては陸軍の戦闘服の支給が間に合わず、海軍の制服のままで地上戦に参加した。

 前回(第二次大戦海兵隊列伝①:2019年10月23日公開)では、海兵隊という軍種について説明した。ところが、実はほぼ海兵隊と同様の任務を遂行する軍種を、「海軍歩兵」と称する軍事大国が存在する。それはロシアだ。

 ロシアにおける海兵隊、つまり海軍歩兵の端緒は、1705年にバルチック艦隊が所属する艦艇から余剰な乗組員を選び出し、地上戦や白兵戦に従事する部隊を編成したことだった。つまり艦隊規模で艦艇の乗組員を集めたのが「事始め」であったため、元の任務はあくまで「艦艇の操作に従事する乗組員」が「艦隊の命令」で「半ば強制的に地上戦力化」されたという背景を抱えるため、あえて「海兵隊」とは異なる「海軍歩兵」と命名された訳だ。

 それにロシアは元来が陸軍大国で、当時の同国海軍の行動海域は黒海やバルト海などであり、水深の浅い海域の海の色が緑色に見えることにちなんでグリーンウォーター・ネイヴィーとも称される、沿岸海軍の域を出るものではなかった。しかも沿岸部の戦いにおいては陸軍との共闘も重要なため、火急の際、海軍の「軍艦乗り」を陸戦に送り出すことにあまり躊躇しない傾向があった。

 しかしイギリスやアメリカ、フランスなどの海軍は、ロシア海軍とは異なる考え方をしていた。軍艦という「巨大な機械」に乗って戦う海軍軍人は、その「機械」を動かすための技術者であり、一朝一夕には養成できない。ゆえに「技術者たる軍艦乗りの転用」などという「人材のもったいない使い方」ではなく、必要ならば、海軍が地上戦用の人材を別に募集すればよいと判断していたのである。

 かような次第で、ロシア海軍では、艦隊が必要に応じて艦艇の乗組員を抽出したり、乗艦の損傷や戦没で手が空いてしまった乗組員を再編成して陸戦部隊を編成し、歩兵として地上戦闘に投入する機会がきわめて多かった。

 さて、大祖国戦争(第二次大戦のロシアでの名称)が勃発した頃のソ連海軍は、スターリンによる粛清の弊害で、簡単には育たないベテランの海軍将兵を多数失っていた。そのうえで、独ソ戦の緒戦での大敗北を補充すべく、軍艦の乗組員を続々と海軍歩兵化して地上戦に投入した。

 彼ら海軍歩兵たちは陸軍と同様の戦闘服に身を包んだが、その戦闘服の下に白と紺のボーダーストライプのマドロス(海員)シャツを着用し、海軍の兵士であることの矜持を示した。そしてスターリングラード戦などを筆頭に、各地で激戦を勇敢に戦ってその名を轟かせた。

 戦後、ロシアの海軍歩兵は国家規模の精鋭部隊としてその恒久的編成が行われ、今日に至っている。