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ルフトヴァッフェが飛ばした「海原を監視する目」ブローム・ウント・フォス BV 138

第2次大戦飛行艇物語⑤~蒼空と碧海をまたにかけた「空飛ぶ巨鯨」の戦い~

■ルフトヴァッフェが飛ばした「海原を監視する目」、ブローム・ウント・フォス BV 138

BV138はご覧のように航空機用としては珍しいディーゼル・エンジンを、これも珍しい3基配置で装備した。生産機数は少なかったが偵察、対潜哨戒、輸送などに活躍している。

「ドイツの翼を持つものは全て空軍の配下なのだ!」

 フューラー(総統)アドルフ・ヒトラーの旧友で第一次大戦時のエース、ルフトヴァッフェ(空軍)総司令官ヘルマン・ゲーリング・ライヒスマルシャル(国家元帥)の言葉である。

 この言葉通り、ゲーリングは海軍航空隊も降下猟兵(空挺部隊)も、一部ながら機甲師団すらも空軍の隷下に置いた。

 かくて海軍航空隊は空軍に吸収合併されたが、陸軍大国ドイツの空軍は陸地上空での航空戦には精通していたものの、洋上の航空戦については、当初は旧海軍航空隊の出身者頼みであった。

 しかもゲーリングと海軍総司令官エーリヒ・レーダー提督は、ともにヒトラーの腹心として、政敵とはいわないまでもライバル関係にあり、「空軍は海軍航空隊を吸収合併する代わりに、責任を持って海軍の航空兵力としての役割をはたす」という、当初の約束事をなおざりにする傾向が強かった。

 かような背景の中でドイツの飛行艇は開発が進められたが、第二次大戦中、同空軍でもっとも活躍した飛行艇がブローム・ウント・フォス【BV 138】であった。

 1937年7月に初飛行した当初は、同社の前身であるハンブルク航空機製造が設計したのでHa138と呼ばれていたが、軽量化に力を注ぎすぎて構造が脆弱だったため、大幅に設計に手を加えた。そしてこの時期に同社はブローム・ウント・フォス社に改名したため、新しい飛行艇は【BV138】と称されることになった。

 【BV138】は1939年2月に初飛行したが、やはり離着水にかかわる強度の不足が心配されたため、生産型では機体の各部が補強されている。

 興味深いのは、本機に3基が装備されたユンカースJumo 205Dである。何とこのエンジンは、航空用としては珍しいディーゼル・エンジンのそれも液冷であり、耐久性の高さと燃費のよさから、洋上長距離飛行を余儀なくされる飛行艇用に最適と判断されたのだった。

 海軍とぎくしゃくしているとはいっても、空軍の哨戒飛行艇部隊は、「海原を監視する目」として敵輸送船団捜索やイギリス潜水艦に対する対潜哨戒、さらにはノルウェーの各フィヨルドに設けられた小規模なドイツ海軍分遣駐屯地への輸送など、地味ながらも飛行艇でなければ遂行不可能な任務によく活躍した。

 洋上飛行中には、飛行艇も含むイギリス側の哨戒機と遭遇することもあり、時に空戦も生じた。だがそうなると、うまく戦闘から脱出できない限り火力や防御力の面でBV138は分が悪く、撃墜されることも間々あった。

【性能諸元】
全長:約19.9m
全幅:約27.0m
全高:約5.8m
全備重量:約15480kg
最高速度:約290km/h
航続距離:約4020km
ユンカースJumo 205D液冷ディーゼル・エンジン×3基
武装:13mm機銃2挺、20mm機関砲2門、爆弾など約700kg
搭乗員数:6名
総生産機数:297機

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白石 光

しらいし ひかる

戦史研究家。1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。


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