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梟雄・松永久秀の遺蹟をめぐろう!①達磨寺

季節と時節でつづる戦国おりおり第395回

 このブログでは過去に、松永久秀の京都・妙恵会墓地のお墓、そして大和多聞山城跡を紹介しましたが、今回はその他の名残の地を回ってみることにしましょう。

 まずは、達磨寺さんから。大和川に近い奈良県王子町の幹線道路に面したお寺です。

 

 聖徳太子が瀕死の人間に化身した達磨大師を助けたという伝承が残るお寺。その境内には聖徳太子の愛犬・雪丸の石像や、南北朝時代に大塔宮護良親王(おおとうのみやもりよししんのう)に仕えて十津川で討ち死にした片岡八郎のお墓があり、その横には子孫で筒井順慶の妹を娶った片岡春利のお墓があります。春利はこのお寺より南、上牧(かんまき)町の片岡城主でした。

 一番左端が片岡春利のお墓です。

 墓石には、現在は劣化で読み取ることは難しくなっているものの、裏に「元亀元年三月五日卒」と刻まれているそうですが、史実ではこの前年の永禄12年(1569)に片岡城は松永久秀によって攻められ明け渡されているので、春利は失意のうちに翌年病死したのでしょう。

 そして、右端が松永久秀のお墓ということです。拡大してみましょう。

 

 シンプルな卵塔です。こちらも現在は劣化で読みとれませんが、「松永久秀墓天正五年十月十日」と刻んであったそうです。天正5年(1577)10月10日、信貴山城の天守で爆死したなどと伝わる久秀の命日です。

 のちに筒井氏がここに亡骸を葬ったと伝わりますが、片岡春利とその城を奪った久秀とが隣り合わせに眠っているのは、なんとも皮肉な話です。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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