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本能寺の裏口?【連載 第119回「城の搦め手」最終回】

外川淳の「城の搦め手」最終回

 本能寺は、明智勢の襲撃を受けて全焼したのち、現在の地へ移転。近代になると、跡地は小学校として利用され、その一角には石碑が立つだけでした。

本能寺石碑1
かつてはバックが小学校のフェンスで絵になりませんでした。10年ほど前にはCSの番組においては、石碑前でロケを体験!狭い路地で車の通行も多く大変でした。

  京都市街の人口構成の変化により、本能小学校が廃校となり、現在は石碑も北側に加えて西側にも建立されました。

 信長ファンの聖地としての環境は、以前と比較すると、向上しつつあるようです。

本能寺石碑2
西側には石碑が新設されました。本能寺は、ただの寺ではなく、防御された城塞だったのです。

 

『歴史人』7月号、では「本能寺の変〜信長殺しの動機と20の仮説」を担当した。

 雑誌発売の前後に、関連話題を紹介すべきところ、遅れての紹介となりました。

 最新『歴史人』10月号の「関ヶ原合戦の真実」では、合戦前夜〜東西軍の布陣〜終戦まで、ドキュメント形式で監修・執筆をした。

 歴史ファンは、歴史雑誌を育てるという視点も、時には必要なのだと思います。

 ひとつの歴史雑誌を育てるという意味においても、ご購入いただけたら、幸いです。

 2017年の1月から開始したこの連載も、119回目の今回が最後になりました。

 ご愛読いただいた方々に対し、感謝の言葉で締めさせていただきます。

 ありがとうございました。

 

外川 淳

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外川 淳

とがわ じゅん

1963年、神奈川県生まれ。早稲田大学日本史学科卒。歴史雑誌の編集者を経て、現在、歴史アナリスト。



戦国時代から幕末維新まで、軍事史を得意分野とする。



著書『秀吉 戦国城盗り物語』『しぶとい戦国武将伝』『完全制覇 戦国合戦史』『早分かり戦国史』など。



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