NHK連続テレビ小説『なつぞら』で、主人公・なつの祖父・柴田泰樹役が大反響を呼んでいる草刈正雄さん。頑固だけれど、深い愛に満ちたその演技は、どうやら家族愛に溢れる草刈さん自身の実生活に裏打ちされたもののようだ。亡き母を偲ぶ手紙を募った「母の日参りコンクール」(第2回)で選考委員長を務めた草刈さん。「僕が悪いことをすると、バットを持って追っかけてくる怖い母でした……」と、草刈さんが幼少時代を振り返り、 今は亡き母との想い出を語ってくれました。(書籍『亡き母への手紙』より)

女手一つで育ててくれた、今は亡き母の想い出

撮影/阿久津知宏

亡き母への手紙を読みながら、ずっと泣いていました

 今回、第2回「母の日参りコンクール」に応募された、みなさんの手紙を読みながら、ずっと泣いていました。

 もともと涙もろい方で、テレビのニュースで悲しい出来事を観たり、ドラマの台本を読んだりすると、すぐ涙が流れてしまうのですが、 歳を過ぎてからはより涙もろくなってきました。 特に、今回は亡き母をテーマにした手紙ですから、もうこれはいけません。涙腺が壊れるかもしれないと思うほど、泣いてしまいました。 というのも、僕は母ひとり、子ひとりの母子家庭で育っていますから、母とのつながり は、それはそれは強いものがありました。手紙を読みながら、つい亡くなった母のことも 思い出してしまった。 でも、みなさんの手紙を読んで僕と同様、いやそれ以上に強い母とのつながりを感じま した。そして「生きているうちに、もう少し親孝行をしておけば良かった」と書かれていた。そうした後悔は僕を含め、みんな一緒なんだなぁとつくづく思いました。

悪いことをすると、バットを持って追いかけてくる怖い母

「あんた、なにしちょんね」
これはよく、母から言われた言葉です。 アメリカの軍人だった父は僕が生まれる前に朝鮮戦争で亡くなったので、母はいろんな役をしながら僕を守ってくれました。

 僕は母と2人、17歳まで一緒に暮らしました。 少年期を過ごしたのは福岡県小倉市です。母は典型的な九州女というか、男みたいな人で、ちょっとでも悪いことをするとバットを持って追っかけてくる。それは怖い母でした。 おそらく僕が道をはずれてしまうのを心配したのでしょう。それでなくても父親がアメリカ人ですから、母から聞いたことはありませんが、当時は今以上に差別的なこともあったようです。日用品の卸売店で働きながら、女手ひとつで僕を育てるのは大変だったと思います。 だから、そんな怖く厳しい母には一切逆らうことはしませんでした。わからないところで、悪さをしていました(笑)。それにどちらか言うとおばあちゃん子で、祖母がときどき遊びに来るのをずいぶんと待ちわびたものです。

「ママへ」と書いてからかわれた小学生時代

 みなさんの手紙を読みながら、自分は母に手紙を書いたことがあったかなと振り返ってみました。それで、小学校3、4年のときに担任の先生から「お母さんに手紙を書きましょう」と言われて書いたことを思い出しました。

 他の同級生は「お母さんへ」と書いていましたが、僕はチビの頃から母のことを「ママ」と呼んでいたので「ママへ」と書いたところ、クラスのみんなから笑われた記憶が今でも残っています。なにを書いたかはもうほとんど覚えていない。きっと、いいことを書いたのでしょう(笑)。 そもそも字が下手なので、手紙を書くということは大人になってからもほとんどしていない。本当に筆不精です。

母の映画好きが役者としての原点

 ありがたいことに、このところドラマや映画と、役者として恵まれています。そうした作品に出ている姿を生前にもっと観せたかったと、つくづく思います。

 とにかく映画が大好きな人で、チビの頃から僕を引っ張っては映画を観に行っていまし た。特に東映の時代劇が好きで、みなさんご存知の中村錦之助さんや大川橋蔵さん、大友柳太朗さんと当時の時代劇のスターがスクリーンに出ていました。そうした素晴らしい先 生方に、役者としてのいろんなことを教えていただいたような気がしています。 僕はこんなバタ臭い顔をしているので、時代劇は絶対にできないだろうと思っていましたが、ひょんなことで出る話に恵まれ、出てみたら思ったほど違和感がなかった。その後、 NHKの大河ドラマ『風と雲と虹と』で忍者の役がまわってきて、ようやく全国区の俳優になれたような気がしました。

 今の僕を母親が観たら、「あんたのあの台詞まわしは錦之助さんだな」とか「この芝居は丹波哲郎さん風だな」といちいち指摘されたかもしれません(笑)。

肝に銘じている母の言葉

 そんな母を今もときどき想い浮かべます。とりわけ仕事で行き詰ったときな

撮影/阿久津知宏

どは「なん とか助けてよ!」と母の顔や、昔 人で暮らしたときのことを想ったりします。いつも 守ってもらったので、いざというときは母頼み、やっぱりこの人しかいません。

 「助けてよ」と言っても、別に母がなにかを言うわけではありません。でも、母の姿が頭 の中で浮かぶだけで、𠮟咤激励されているというか、僕にとってはプラスに働くようです。

 東京に建てた墓にも、ふと行ってみようと思うときがあります。

 行くと、気持ちが穏やかになり、心身ともに充電ができた感じになります。そのたびに、 母の存在や母とのつながりをしみじみと感じますし、今の僕があるのは母のお陰だと感謝 も湧いてきます。

 今も肝に銘じている母の言葉があります。

 それは「ありがとうとごめんなさいを素直に言える人になりなさい」。

 若い頃はそんなに意識はしませんでしたが、歳を重ねてくると、素直な気持ちを持てる ことが本当に大切なのだと感じるようになりました。

 歳を重ねれば重ねるほど、いろんな経験をするし、プライドも知らず知らずに身につく。 だから、素直に感謝したり、謝ったりするのはなかなかできなかったりするものです。そ れでも素直な気持ちを持っていられるのはかっこいいことです。

 チビの頃から母に言われてきたことをこれからも実践していきたい。そう思うと、いまだに母に支えられているわけで、やっぱり今でも頭が上がりません。

書籍『亡き母への手紙』より一部を抜粋)

草 刈 正 雄 (くさかり・まさお)
1952年福岡県生まれ。資生堂の男性化粧品のCMで注目を集め、 1974年に映画デビュー。2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』では真田昌幸役を好演し、ドラマで亡くなったときは視 聴者の間で〝昌幸ロス〞を巻き起こした。現在はNHKの連続テレビ小説『なつぞら』で主 人公なつの祖父代わりとして出演中。NHKBSプレミアム『美の壺』の案内人も務める。