及川眠子×松尾貴史 スペシャルトーク 第1回「とにかく人を分類したがる日本人への違和感」 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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及川眠子×松尾貴史 スペシャルトーク 第1回「とにかく人を分類したがる日本人への違和感」

テーマは「仕事」。松尾さんを「努力型の天才」と称する及川さんに対し、松尾さんは「物事は中途半端でいい」と持論を展開する。

 現在の生きづらさをテーマに、今年1月に弊社から『誰かが私をきらいでも』を発売した及川眠子さんと、社会問題を“違和感”という切り口で辛口評論し、このたび『違和感のススメ』(毎日新聞出版)を上梓した松尾貴史さん。2人の書籍発売を記念して、4月16日にロフトプラスワンウエストでスペシャルトークセッションが行われた。

 最初のテーマは2人の「仕事」について。松尾さんを「努力型の天才」と称する及川さんに対し、松尾さんは「物事は中途半端でいい」と持論を展開する。

 

及川―――松尾さんを見ていると、努力型の天才だなと思うんです。もちろん、天才の多くは努力していますが、そうだとしても、なぜ松尾さんはこんなにいろいろ出来るんだろうと。「多趣味だからかな?」とも思ったのですが、どの仕事も趣味の範囲を超えたクオリティですよね。

 

松尾―――いやいや、下駄を履かせていただいて恐縮です(笑)。ただ、趣味の範囲を超えているという自覚はなくて、自分としては“すべて中途半端にこなしているだけ”だと思うんです。でも、それが悪いことだとは思っていなくて、なぜかというと、僕は「不謹慎」「無意味」「中途半端」という3つの座右の銘を掲げているからです。

 まず「不謹慎」というのは「人前で何かを表現する人は不謹慎でいい」と思ってるんですよ。不謹慎を言い換えると「歪さ」や「突出」であり、表現者のそうした部分に喝采が送られたりするじゃないですか。昔から芸能界なんてそんなものだし、そうであっていいと思っている。

 ただ、今の世の中は失点のない人ばかりが求められている。本来なら、得点が多くて失点も多い「歪な傾奇者」を、みんなで楽しんだり、指差して笑ったり、カタルシスを感じたりするのが、芸能そもそもの形だと思うんです。でも最近の風潮として、みんながみんな失点を怖がっているような気がする。特にSNSでは匿名で攻撃することで、丸いものだけを認めようとするムードがある。これが気持ち悪いんですよ。

 

及川―――SNSは匿名をいいことに、やたらと絡んでくる人が多いですよね。そもそも松尾さんと知り合えたのはツイッターのおかげだし利点も多いけど、私も松尾さんも月に1度は誰かしらに絡まれてると思う。その話はあとでするとして、では「無意味」というのは?

 

松尾―――「無意味」は「僕らがやっていることなんて、それほど大きな意味はない」ということです。別に厭世的に言ってるわけでも諦めている訳でもなくて、どうせ人間のやっている活動なんて無意味なことばかりなんです。宇宙からしたら人間1人の存在なんて本当にちっぽけ。それぞれの思いがあって社会を繋いでいきたいのなら、一所懸命やってもいいけど、僕は気負わずに生きていけばいいんじゃないかと思ってるんです。

 そして最後の「中途半端」は「自分の行動にハードルを設けると大体ダメになる」という意味です。ハードルを超えられなくて自己嫌悪に陥るんですよ。鬱の元なんです。だから「ダメでいいんだよ」と言いたい。そもそも人間なんて1から99までの間の存在で、0=完全にダメなヤツや、100=完璧な人間なんてものにはお目に掛かったことがないでしょう。1から99までの間の中途半端な所でいいんじゃないかと思うんです。

 僕ばかり話してしまってすみません。ようやく話が「中途半端」に戻りましたが、僕は中途半端で自分の気が向いた時しかやらないんですよ。この「気が向く」という気持ち──「好きなことをやる」という気持ちを突き詰めたのが、たとえばイチローや錦織圭やタイガーウッズなどのトップアスリートだと思うんです。僕らからすれば偉業を成し遂げた人たちだけど、彼らからすれば道楽でやってるんですよ。「努力してます」と対外的には言うけど、実はそれを努力だと思っていない。好きだからこそ、道楽としてトコトン突き詰めてやっていて、それを苦しみだと思わない。そんな選ばれた人たちなんです。

 

及川―――分かります。私も「産みの苦しみ」についてよく聞かれるんですが、私は産みの苦しみがあればあるほど楽しいタイプ。今、ミュージカル(『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』)の歌詞を手掛けていて、これがグラム・ロックで本当に大変。でも、すごくおもしろいんですよ。

 

松尾―――ルールのややこしいゲームに取り組んでいる感じですよね。

 

及川―――そうなんです。努力は必要だけど、楽しくなかったら意味が無い。はっきり言って、生きていく上では芸能も音楽もスポーツも必要なモノじゃないでしょ? それで金儲けて食わせてもらっているんだから、そこでシンドイって言ってたらバチ当たると思いますよ。

 

松尾―――好きなことをやっているわけですからね。世の中って「嫌いなことをやっている人」よりも「好きなことやっている人」を応援する傾向がありますよね。「ツライけど、人のためになるから我慢してやっている!」という人をもっと評価してあげればいいのに、多くの人は好きなことをやって成果を残している人のことを評価するし応援してしまう。これって「みんな好きなことだけをやっていたい」という気持ちの表れなんじゃないかと思うんですよ。ただ、アスリートは苦しそうにやってるけど、好きなことだから苦しそうでも許される感じがあるのかな? 及川さんの「産みの苦しみ」で言えば、特にどの仕事が苦しいとかあります?

 

及川―――初めてのことをやる時が本当に苦しいですね。初めてのアーティストとの仕事も苦しい。ただ、だからこそ逆に楽しいっていう感じですね。レギュラー化すると慣れちゃうから、そうならない為に、如何に前のものを裏切っていくか。やしきたかじんの作詞もそうだったんですけど、前作をどう裏切れるかということを自分でやんないと楽しくないんです。

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  • 2019.01.16