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大名・久喜氏の面影を追う⑤三田界隈(5)三田城跡の弐

季節と時節でつづる戦国おりおり第375回

 城主格ではない九鬼本家の屈辱、と前回書きましたが、それだけではなく九鬼家は三田移封にあたりもうひとつの屈辱を味わいました。それは、三田が海の無い山の中だったということです。

 江戸幕府は各藩から大船を没収し、九鬼家転封の3年後には武家諸法度の改定で500石積み以上の大船の建造も禁止します。制海権の掌握、それに大名が海外貿易を財源にすることを防ぐ狙いからでしたが、九鬼家はまさにこの方針に基づいて文字通り「干され」たのでした。

 志摩水軍・鳥羽水軍の栄光を思うとき、海から切り離されてしまった久隆さんと家臣一同の悲嘆はどれほど大きいものだったでしょうか。
三田小学校の南にまわると、こんな光景が目に飛び込んできます。

パノラマ撮影

 これは「三田御池」と呼ばれる大池で、陣屋の南の堀の代わりとされただけでなく、この池に水軍船を浮かべて海戦の調練をおこなったということです。「陸(おか)にあがったカッパ」は、水軍の誇りを忘れまいと必死だったのでしょう。御池を眺めていると、往時のひとびとが船で号令を発する声が聞こえてくるようでした。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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