地名の由来「犬山」

 さて、この「犬山」という地名の由来を解明してみよう。横山住雄氏の『犬山の歴史散歩』には、次の三つの説があったと記されている。

①犬を用いて狩りをするのに適地であったから、犬山と呼ばれるようになった。

②『和わみょうしょう名抄』という平安時代の史料に「丹羽郡小野郷」がある。この小野に山が多かったことから、小野山(おのやま)→おぬやま→いぬやまとなった。

③楽田(がくでん)(犬山市)の大縣神社の祭神・大荒田命(おおあらたのみこと)は、犬山にある針綱神社の祭神の一人玉姫命の父君に当たり、大縣神社から犬山は戌亥(いぬい)の方角に当たるので、いぬい→いぬ山と呼ばれるようになった。

 このうち、①の犬狩りの説はほとんど当たらない。そもそも犬を用いて狩りをするほどの山ではないことがいちばんの理由である。そこで、多くの辞典などでは②の「小野山」説と③の「戌亥の方角説」を紹介しているにとどまっている。

 私の説は③の方角説である。その理由を述べてみよう。②の「おのやま→おぬやま→いぬやま」の転訛説だが、「おのやま」が「おぬやま」に転訛することは考えにくい。「小野郷」の「小野」はどう考えても「おの」であって、「小野」を「おぬ」とわざわざ呼びにくい発音に転訛することは到底考えられない。これが一つの理由である。

 もう一つの方が本質的である。横山氏によれば、大縣神社から見て針綱神社は「戌亥」の方角にあるという。「戌亥」は正確に書くと「乾(いぬい)」であり、それは「北西」の方位を指している。古来我が国では東西南北の方位を十二支で表現してきた。わかりやすく示すと図3のようになる。

 大縣神社から見て、針綱神社が「乾」の方角、つまり「北西」の位置にあれば、「犬山」の謎は解けることになる。

 この大縣神社はとてつもなく古い神社で、社伝によれば、垂仁(すいにん)天皇の御世に本ほん宮ぐう山さんから現在の地点に移転したとされる。尾張の二宮であるというから、一宮市の真清田神社に次ぐ格の神社である。

 境内には玉姫命(たまひめのみこと)も祀られており、もともとこの神社は女陰を祀る神として知られてきた。実はこれは小牧市にある田縣(たがた)神社の男根に対応する神で、この「田縣神社」と「大縣神社」の二つを結びつけると、安産の神様となる。確か犬山の針綱神社には「玉姫命」が祀られている。その玉姫命の父君も大縣神社にいたとなると、明らかに大縣神社から見て犬山の針綱神社の方角が問題になっても不思議ではない。

 さて、犬山城にある針綱神社は本当に大縣神社から見て「乾」(北西)の方角にあるのだろうか。北西というよりは、むしろ「北北西」に近いといえるが、おおまかにいえば「乾」の方角にあるといってもさしつかえない。

 すると、「乾」(戌亥)が「犬」に転訛し、そこから「犬山」という地名が起ったというのが最も信憑性が高いということができる。「乾」(戌亥)が「犬」に転訛することは地名のルーツとしてはよくあることである。犬はもともと安産祈願の神様のような存在だったことから、針綱神社が安産の神様となったというわけである。

 それを裏づけるかのように、天文6年(1537)織田信康が自ら手彫りの狛犬一対を奉納して安産祈願をしている。以来、戌の日に安産祈願をするとよいとされる風習が広まったという。「戌の日に腹帯を巻く」という風習がもしこの犬山から発祥したとなると、犬山の歴史的功績は大変なものになる。

〈周辺ガイド〉

どんでん館:犬山祭の見所に、車山が城下町の辻で豪壮に方向転換する様がある。これを「どんでん」と呼んだことから、館の名が付けられた。施設内には愛知県有形民俗文化財である車山(犬山祭に出される山車のこと)一三両のうち四両を展示。 建物の内部は城下町の町屋の造りを再現している。

『名古屋地名の由来を歩く』(著・谷川彰英)より構成〉