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肉食をやめ、牛乳を飲んだ奈良時代の貴族たち

貴族の一部は日常的に牛乳を飲んでいた?【和食の科学史③】

■肉食をやめ、牛乳を飲んだ奈良時代の貴族たち

 この時代はとくに貴族階級の食生活に変化が生まれました。仏教の影響で次第に肉を食べなくなり、代わりに牛乳や乳製品を摂取するようになったのです。貴族の一部は日常的に牛乳を飲んでいたのではないかと考える研究者もいます。

 日本で最初の肉食禁止令は古墳時代に出され、牛、馬、鶏などの肉を食べることを禁じました。ただし、「指定された動物以外は食べても法に触れない」とただし書きが付いており、野生の猪、鹿などは食べても良かったのです。けれども貴族は仏教に帰依する者が多く、肉食そのものを避けるようになりました。

図3 奈良時代の食卓をのぞいてみ ると 奈良時代の食事は社会的な階 層によって大きく異なっていました。 写真の料理は資料にもとづいて再現 したものです。奈良文化財研究所所蔵

 食事は大変ぜいたくなもので、白米を主食に、乳製品を含む豪華なおかずが食卓に15品も並びました。図3の一番上が貴族の食事を再現したものです。これを漆(うるし)塗りの箸と食器を使って食べていたそうです。

 当時は臼と杵を使って人の力で精米していたため、現代の白米ほどきれいではなかったものの、精米自体は弥生時代から行われていました。白米を食べるとビタミンB1が不足して脚気(かっけ)になるという話をおぼえていますか? 脚気の名が記録に初めて登場するのは平安時代にあたる808年ですが、脚気を思わせる症状は奈良時代の記述にも出てきます。

 その一方で、庶民の食事は玄米か、粟、稗などの雑穀を主食とする一汁一菜、多いときで二、三菜の簡素なものでした。図3の一番下を見てください。奈良時代に活躍した歌人、山上憶良(やまのうえのおくら)は役人でしたが、庶民の暮らしに温かい目を向けました。『万葉集』におさめられた貧窮問答歌では、塩をなめながら酒をすする姿を「堅塩(かたしお)を 取りつづしろひ 糟湯酒(かすゆさけ) うち啜(すす)ろひて」と描写しています。堅塩は精製していない塩の固まりのこと、糟湯酒は酒粕を湯で溶いて作った飲みもので、かすかに甘く、アルコール度数の低い酒です。

 庶民のおかずは畑で作った青菜、大根、ナス、瓜、大豆、芋類などの野菜、そして山菜で、手に入れば獣肉も食べていました。この時代は僧侶が庶民に自由に布教することが禁じられていたため、仏の教えが行き渡っていなかったからです。

 牛乳はきわめて高価で、庶民の手が届くようなものではありませんでした。となると、カルシウムは何から摂取していたのでしょうか。これについては、のちほど考えましょう。

(連載第4回へつづく)

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奥田 昌子

内科医、著述家

京都大学大学院医学研究科修了。内科医。京都大学博士(医学)。愛知県出身。博士課程にて基礎研究に従事。生命とは何か、健康とは何かを考えるなかで予防医学の理念にひかれ、健診ならびに人間ドック実施機関で20万人以上の診察にあたる。人間ドック認定医。著書に『欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」』(講談社)、『内臓脂肪を最速で落とす』(幻冬舎)、『実はこんなに間違っていた! 日本人の健康法』(大和書房)などがある。


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