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明智光秀の足跡を訪ねて④西教寺さんでお墓参り(その1)

季節と時節でつづる戦国おりおり第352回

■明智夫妻のお墓参り

前回:明智光秀の足跡を訪ねて③坂本城跡は広かった】 

 琵琶湖の波音を背で聴きながら、北西へ3km半ほど移動します。山際に建つ西教寺さん。その総門は坂本城の遺構を移したものとされており、この日もバッチリ撮影した…つもりだったのですが、なんと撮れていませんでした(泣)。次回リベンジのチャンスができたと前向きにとらえておきましょう(歯ぎしり)。

 西教寺さんには、光秀が焼き討ち後に復興し、一向一揆との戦いで討ち死にした家臣十八人の供養のため米を寄進した書状が残っています。総門で想像できる坂本城の雄大さとともに、光秀の優しい一面をうかがうこともできる場所であるということですね。

 境内をまっすぐ進むと、左手に墓地が広がっています。その一番正面。

 

 明智光秀墓です。毎年6月14日には光秀の法要も営まれているとか。
 その並び、一番左が光秀の妻・凞子の墓。

 

 

 そのかたわらには松尾芭蕉が凞子を偲んで詠んだ

「月さびよ 明智が妻の はなしせむ」

 の句碑も。

 

 芭蕉は、凞子が若く貧しい時代の光秀の宴会の費用を用立てるためにその美しい髪を売ったという逸話に心打たれこの一句をものしたと言われています。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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