【現代とは別物だった真田時代の上田城】 | BEST TiMESコラム

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現代とは別物だった真田時代の上田城

外川淳の「城の搦め手」第71回

■真田時代の上田城をCGで再現

『歴史人』ではよく籠城戦など、城を巡る攻防について 執筆してきた。たとえば、郡山城、佐嘉城、唐沢山城攻防戦などについて、さまざまな角度から分析を加えたが、紙数の関係から語り尽くせない部分もあった。

 ということで、「BEST TIMES」を利用し、激闘の舞台として有名な、真田時代の上田城について紹介してみたい。真田昌幸は、上田城に立て籠もり、二度にわたって徳川勢を撃退したことで、天下に名を響かせた。

 だが、真田時代の上田城は、関ヶ原合戦後、幕府によって徹底的に破却されてしまう。

 元和8年(1622)、真田氏が松代へ転封されるとともに、仙石氏が上田城主となると、再建工事に着手。

 つまり、現代の上田城は、同じ地点にはあっても、真田時代の籠城戦での上田城とは別の城だともいえよう。

 そのような視点から、『歴史人』誌上でもよくCGを提供されている、成瀬京司氏が作成された第二次上田城攻防戦のCGを精査してみると、真田時代の上田城を再現しようという「こだわり」が感じられた。

 

写真を拡大 『歴史人』2013年5月号より CG作成/成瀬京司

 真田時代の上田城は、地下に埋没してしまい、その縄張りは謎に包まれている。

 CGの上田城は、基本的形状は仙石氏時代を基本としながらも、本丸のコーナーに天守が聳えているのをはじめ、櫓の数を増やすなど、現状との差異がつけられている。

上田城。写真左より、南櫓、東虎口櫓門、北櫓。 維新後、北櫓と南櫓は移築されて妓楼として利用されていたが、昭和24年(1949)、元の位置に再移築された。平成6年(1994)、東虎口櫓門が創建され、往時の威容が取り戻された。

『歴史人』の城に関わる特集でも、このような部分について、見極めれば、より上田城や攻防戦への興味も増すだろう。

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外川 淳

とがわ じゅん

1963年、神奈川県生まれ。早稲田大学日本史学科卒。歴史雑誌の編集者を経て、現在、歴史アナリスト。



戦国時代から幕末維新まで、軍事史を得意分野とする。



著書『秀吉 戦国城盗り物語』『しぶとい戦国武将伝』『完全制覇 戦国合戦史』『早分かり戦国史』など。



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