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 信長の遺骸はどこに消えたのか②

覇王・織田信長の死生観 第10回

天下統一を目前に控えた織田信長は、
本能寺の変で突然の死を遂げた。
最期まで自ら槍を取り戦った信長の人生は
命知らずの破天荒なものだったのか?
信長は死をどのように捉えていたのか?
そして、ついに見つからなかった死体の行方は?
未だ謎多き信長の人生と死に迫る!

 

 信長の遺骸はどこに消えたのか②

 信長の遺骸はどこに消えたのだろうか。1つの言い伝えがあるので紹介しよう。信長父子や家臣たちの墓、戦死者の過去帳など信長と深い縁を持つ京都の阿弥陀寺に伝わる『信長公阿弥陀寺由緒之記録』という冊子に記された話である。

 変の起こった時の阿弥陀寺の住持は清玉上人であった。変を聞くや清玉は、20人の僧を連れて本能寺に駆けつけ、寺内に侵入した。そこで清玉たちは、顔見知りの信長の側近たちが何かを焼いているのに出くわした。聞くと、自害した信長の遺骸を焼いているのだという。清玉は側近たちに頼んで信長の遺骨を引き取り、衣に包んだ。そして、本能寺の僧が退出するのにまぎれて寺を脱出し、阿弥陀寺まで運んだという。

 この話は、そのまま信じるべきでないことはもちろんである。本能寺から阿弥陀寺までは3キロほどもあり、清玉上人がすぐに駆けつけることなどできるはずがない。それに、明智軍の攻撃にさらされる中で、信長の遺骸を焼くことなどとうてい不可能だろう。だいたいこの冊子自体が、18世紀に書かれたものといわれているから、単なる伝承として聞き流すほどのものである。

 信長の遺骸はどこに消えたのだろうか。1つの言い伝えがあるので紹介しよう。信長父子や家臣たちの墓、戦死者の過去帳など信長と深い縁を持つ京都の阿弥陀寺に伝わる『信長公阿弥陀寺由緒之記録』という冊子に記された話である。

<次稿、覇王・織田信長の死生観 第11回につづく>

<前回の記事、覇王・織田信長の死生観 第9回はこちら>

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谷口 克広

たにぐち かつひろ

1943年、北海道生まれ。横浜国立大学卒業。戦国史研究家。織田信長研究の第一人者。主な著書に「織田信長家臣人名辞典」(吉川弘文館)、「信長と消えた家臣たちー失脚・粛清・謀反」(中公新書)など。


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