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源氏の聖地に小笠原家の藩邸、その関連性とは

季節と時節でつづる戦国おりおり第336回

 東京都渋谷区、京王線の初台駅から5分ほど、オペラシティや新国立劇場の西に入って行くと、そこはもう閑静な住宅街。その一角に、ひっそりとこんな石碑が建っています。

「旗洗池跡」

 これは、源氏の頭領・八幡太郎源義家が後三年の役(1083~7)のあと、帰洛するときにここを通りかかり、この地にあった池で減じの白旗を洗った、という伝承に基づくものだそうです。

 

「石碑、のっぺらぼうだな」と思ったら、裏にちゃんと「洗旗池」と刻まれていました。
 ということは、かつてこの「洗旗池」と刻まれている側が正面で、その背後に池が広がっていたということなんでしょう。開発によって池跡が道路となり、そっち側に背を向けたまま、説明板だけ道路側に向けて設置されたんですね。この池が「幡ヶ谷」という地名の元にもなっているそうです。ちなみに「洗旗池」の字は、ここを訪れた東郷平八郎の揮毫によるものだそうです。

 

 源義家といっても、それだけでは戦国ネタにはならないのですが、江戸時代末はこのあたりは肥前唐津の小笠原家の藩邸だったということで、あえて取り上げてみました。だって、小笠原家は信濃の名族・小笠原氏の一門。戦国時代には小笠原長時や貞慶らが出て、小笠原流の礼法や弓術などで武家社会に大きな影響を及ぼした門閥です。この小笠原氏は清和源氏の河内源氏、義光を始祖としております。義光は義家の弟でしから、旗洗池はまさに本家ゆかりの場所。ここは何がなんでも自分の屋敷として、源氏の名門の聖地を守ろうと考えたのではないでしょうか。なにせ、将軍徳川家などは本来源氏かどうかも怪しい出身なのですから。一度、小笠原家の藩邸となった経緯など調べてみると、面白いかも知れません。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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