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車いすを「前向き」に押した介護職員の過去

【隔週木曜日更新】連載「母への詫び状」第十三回

■あの男性は被災者だった。新潟県は福島県の人を受け入れていた

 自分をひどく恥じて、穴に入りたくなったのは、それから日が経ち、男性の履歴を知ったときである。

 この出来事は2011年のこと。彼は福島県から避難してきた人だった。あの忌まわしい震災と原発の事故によって、家を追われ、仕事も失い、新しい土地での生活を余儀なくされた被災者だったのだ。

 新潟県と福島県は隣に位置する関係で、昔からつながりが深い。古い話を持ち出せば、戊辰戦争(北越戦争)において長岡藩は新政府軍に逆らい、会津藩の味方についた。そんな歴史があるから、2004年に新潟県が中越地震に見舞われたときも、

「困ったときはお隣り同士、助け合わんと」

「長岡藩は戊辰戦争で会津藩の味方について戦ってくれた。その恩返しをしなくちゃなんねえ」

 と、福島の人たちが温かい支援の手を差し伸べてくれた。

 だから2011年の東日本大震災では、新潟県は恩返しを兼ねて、行政も民間も精力的に支援に動き、なかでも福島県から避難してくる人の受け入れを積極的におこなった。

 福島の介護施設や老人ホームに入所していた人たちも、たくさん新潟へ移ってきた。父のいた施設に急遽、お年寄りが多数入所して職員の手が足りなくなり、一時期はサービスが低下したほどだ。父のセーターを、知らないおじいさんがよく着ていた。震災の後、新潟県のテレビのローカルニュースには、福島県のローカルニュースのコーナーが設けられた。

 お年寄り限った話ではない。住み慣れた家を追われ、大切なものを失った人が全国各地にいただろう。母の車いすを不器用に押していた男性は、こうして福島から新潟に移り住み、未経験の介護の仕事を始めた人だったのである。

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夕暮 二郎

ゆうぐれ じろう

昭和37年生まれ。花火で有名な新潟県長岡市に育つ。フリーの編集者兼ライターとして活動し、両親の病気を受けて帰郷。6年間の介護生活を経験する。



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