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女性客ゼロだった江戸の銭湯は、なぜ混浴で賑わい始めたのか

仰天! 入浴の日本史⑤ 「入り込み湯」と江戸の入浴事情

◆江戸住まいのご隠居は日に2回も湯に浸る

写真を拡大 江戸で禁止されても、地方は混浴天国(『紀伊国名所図会』国立国会図書館蔵)

 では当時の人たちが、どの位の頻度で入浴していたのかというと、江戸の裕福な隠居ともなれば、朝夕2回も銭湯に通ったようだ。というのも入浴料は幕府が定めた公定料金で、かなりの格安に抑えられていたからだ。江戸住まいの人でほぼ毎日、江戸以外の東日本では3~5日に1~2回、西日本はひと月に1~2回程度の入浴頻度だったようだ。

 ただしこの入浴というのは、あくまで湯舟に浸かることを指している。大きなたらいに水をためて洗髪をしたり体を洗うことは、入浴には数えなかった。今風に言えば、シャワーだけの日は入浴とは言わないということだ。湯を沸かす薪が高価だったため、銭湯の少ない地域では、どうしても入浴の回数は減ってしまう。

 一方、将軍や大名はこの時代、入浴することは日常の行為となっていた。俗に湯殿姫と呼ばれた入浴の世話係の侍女がおり、殿様の手が付き、妊娠して子を生んだりすると湯殿腹と呼ばれる。8代将軍となった徳川吉宗も、紀州藩主の徳川光貞が湯殿で世話係として仕えていたお由利の方に産ませた湯殿腹の子であった。

雑誌『一個人』2月号より構成〉

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下川 耿史

しもかわ こうし

1942年福岡県生まれ、早大文学部卒。サンケイ新聞社出版局を経て,72年からフリーライター。性の風俗史や性の民俗史の研究を中心に活動している。著書に『エロティック日本史』(幻冬舎)『盆踊り 乱交の民俗学』(作品社)、『日本エロ写真史』『混浴と日本人』(以上ちくま文庫)など。


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