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【デジタル化する教育現場に潜むリスク】文科省は「教育データ」を扱えるのか?

第63回 学校と教員に何が起こっているのか -教育現場の働き方改革を追う-

教員

 

■教育におけるデータ活用が議論されているが…

「教育データ」という言葉が、これから頻繁に登場してくることになりそうだ。そして、大きな問題として扱われることにもなるだろう。

 文科省は1月27日、ビッグデータやICTの専門家と学校教育関係者などで構成される「教育データの利活用に関する有識者会議」の第4回会合を開いた。そこで同省は、論点整理に向けた検討資料を提出している。
 それによれば、教育データとは、「初等中等教育段階の学校教育における教育・学習に関するデータ」と定義されている。子どもたちの学習履歴(スタディ・ログ)や生活・健康情報(ライフログ)の取り扱いから、ビッグデータによる社会的な活用までを議論するという方向性が示されている。
 子どもに関するあらゆるデータを一元化し、それを活用していくことを有識者会議で議論させようというわけだ。

 教育分野でのICT化が進むなかで、さまざまなデータを集めることが可能となる。それを最大限に利活用していこうというわけだ。ICT化のなかでは、必然的な流れでもある。
 しかし一歩間違うと、まったく違う活用になってしまいかねないことにも注意が必要である。
 たとえば学習履歴にしても、電子データ化することで蓄積が可能になってくる。何を学んだかだけでなく、テストでの成績も、それこそ小学校1年生から高校3年生まで分を瞬時にパソコンのモニター上に表示させるのも難しいことではない。

 検討資料には、「将来的には、在学中だけではなく、生涯にわたる学びの記録ができるようにすることについて、どう考えるか」とも記されている。教育にとどまらず、個人の生涯データが一元管理される可能性も秘めているわけだ。
 問題は利活用である。
 検討資料には、「一次利用は学習者や教員が直接利用し、二次利用は社会全体のための利用を目的とするものであり、共通する事項(相互運用性の確保のためのデータ標準化等)もあるが、利活用の方法や仕組みが大きく異なる点に留意して議論すべきではないか」とある。まずは学習者(子どもたち)や教員が利用し、さらには社会全体のためにも利用していく方向性が示されている。

 教育データを利用することで、教員が子どもたちに対して個別最適な指導をしやすくなる可能性は高い。子どもたちも、自分のデータを振り替えることで、今後の学習スケジュールを組みやすくなるかもしれない。まさに、ICT化による「バラ色の未来」といえるのかもしれない。

 

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前屋 毅

まえや つよし

フリージャーナリスト。1954年、鹿児島県生まれ。法政大学卒業。『週刊ポスト』記者などを経てフリーに。教育問題と経済問題をテーマにしている。最新刊は『ほんとうの教育をとりもどす』(共栄書房)、『ブラック化する学校』(青春新書)、その他に『学校が学習塾にのみこまれる日』『シェア神話の崩壊』『グローバルスタンダードという妖怪』『日本の小さな大企業』などがある。


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