「埼玉」地名発祥の地 「前玉神社」
この埼玉古墳群の周辺が「埼玉」という地名発祥の地と言われている。『新編武蔵風土記稿』には、「埼玉郡」の総説の中で、次のように書かれている
これは訳しておこう。
これを整理してみると、「埼玉郡」の下に「埼玉郷」があり、さらにその下に「埼玉村」があって、それが埼玉郡の本拠地であろうということである。
丸墓山古墳と稲荷山古墳をあとにして、左手に「二子山古墳」を見ながら南に行くとバス道路に出る。その道路を越えた先にさきたま古墳公園の博物館がある。そこから左手に向かうといかにも古墳の跡らしい小さな道が続いている。何度来ても懐かしさを感じさせる小道である。

古墳のスロープに写真のような「史蹟埼玉村古墳群」と刻まれた石碑がひっそり建っている。この碑も好きなものの一つだ。「埼玉村」と刻まれていることに注目。ここが「埼玉村」なのである。
小さな竹林を抜けると、「前玉神社」の境内に出る。「前玉」は「さきたま」と読み、この神社名が「埼玉県」の「埼玉」のルーツだと言われている。ご祭神は「前玉彦命(さきたまひこのみこと)」と「前玉比売命(さきたまひめのみこと)」の二柱(ふたはしら)の神様であるが、地元では「浅間(せんげん)さま」と呼ばれ、神社が鎮座している古墳も「浅間塚古墳」という名になっている。
これは江戸時代に忍城に鎮座していた浅間神社を勧請したことで、浅間さまと呼ばれるようになっただけのことで、前玉神社の歴史は稲荷山古墳が造られた千数百年以前にさかのぼると言われる。