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アップルから追放されたスティーブ・ジョブズが復帰後に手がけたこと

【連載】「あの名言の裏側」 第8回 スティーブ・ジョブズ編(3/4)利益を生み出すことだけを目的にしてはいけない

僕は、いつまでも続く会社を作ることに情熱を燃やしてきた。
すごい製品を作りたいと社員が猛烈にがんばる会社を。
それ以外はすべて副次的だ。
──スティーブ・ジョブズ

写真:ロイター/アフロ

 ジョブズは、アップルの創業から一貫して同社の経営者を務めていたわけではありません。1985年、当時アップルの会長であり、中核事業であるマッキントッシュ部門を束ねていたジョブズは、社長だったジョン・スカリーと対立。取締役会で役員のほとんどがスカリーを支持し、ジョブズは肩書きばかりの会長職だけ残し、その他のすべての業務から外されてしまいます。事実上の解任です。ジョブズは程なく辞表を提出。新たにNeXTという会社を立ち上げてコンピューターの開発を進めたり、ルーカスフィルムのCGアニメ部門を買収してピクサーを設立したりしました。
 当時のことを、ジョブズは次のように述懐しています。

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 僕は、いつまでも続く会社を作ることに情熱を燃やしてきた。すごい製品を作りたいと社員が猛烈にがんばる会社を。それ以外はすべて副次的だ。もちろん、利益を上げるのもすごいことだよ? 利益があればこそ、すごい製品を作っていられるのだから。でも、原動力は製品であって利益じゃない。スカリーはこれをひっくり返して、金儲けを目的にしてしまった。ほとんど違わないというくらいの小さな違いだけど、これがすべてを変えてしまうんだ──誰を雇うのか、誰を昇進させるのか、会議でなにを話し合うのか、などをね。
(ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズ II』より)
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 利益が上がるのは素晴らしい。でも、それだけを目的にしてはいけない。まずは優れた製品をつくり出すこと。そして、そのために社員一丸となって働く強い組織をつくることがすべて。それ以外のことは結果として、いわば副産物的についてきたものにすぎない……というわけです。

 社員に「一晩で結果を出せ」と強いるのも、週80時間もの労働を求めるのも、革新的な製品をユーザーに届けたいから。そして、その製品を通じて、新しい価値を世界に生み出したいから。そうした方向性において、ジョブズはほぼブレることがない経営者でした。

 結局、ジョブズは1996年、非常勤顧問という形でアップルに復帰を果たします。徐々に経営の実権を掌中に収め、経営陣をほぼ一新。ジョブズに縁のある人材を役員に据えていくのです。
 ジョブズがアップルから離れていた10年強の間に、パソコンの世界はマイクロソフトの天下になっていました。アップルもさまざまな手を打っていたものの、業績は低迷していたと言わざるを得ません。
 アメリカの『ワイアード』誌のインタビュー記事で、ジョブズは次のように語っています。

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 デスクトップ・コンピューターの業界は死んだ。イノベーションなど存在しないも同然だ。技術革新とほぼ無縁のマイクロソフト社が支配している。もう終わった。アップル社は敗者だ。デスクトップ市場は暗黒時代に突入しており、あと10年はこの時代が続くだろう。少なくとも、1990年代の終わりまで続くのは確かだ
(『ワイアード』1996年2月号)
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 1998年、アップルはiMacを発売。モニター一体型の透明筐体は、鮮やかなブルーやオレンジなどの色使いや造形のおしゃれさも手伝い、人々の耳目を集めました。「ジョブズが帰ってきた」「アップルが、また面白い製品をつくってくれそうだ」と、ユーザーの期待は高まったものの、パソコン市場におけるマイクロソフト一強状態を覆すには、さすがに難しい状況でした。

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漆原 直行

うるしばらなおゆき




1972年東京都生まれ。編集者・記者、ビジネス書ウォッチャー。大学在学中より若手サラリーマン向け週刊誌、情報誌などでライター業に従事。ビジネス誌やパソコン誌などの編集部を経て、現在はフリーランス。書籍の構成、ビジネスコミックのシナリオなども手がける。著書に『ビジネス書を読んでもデキる人にはなれない』、『読書で賢く生きる。』(山本一郎氏、中川淳一郎氏と共著)、『COMIX 家族でできる 7つの習慣』(シナリオ担当。伊原直司名義)ほか。

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