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GWロスには城巡り! ソバだけじゃなかった深大寺。城址を歩く

首都圏発 戦国の城の歩き方

深大寺城の歴史

 雑木林や原っぱが城に見えてきたところで、この城は誰が何のために築いたのか、考えてみよう。戦国時代の前半、相模武蔵では、扇谷上杉氏と北条氏が勢力争いをつづけていた。深大寺城は、そうした中で扇谷上杉氏によって築かれた。
 1524年(大永4)、北条氏綱は、扇谷朝興の居城だった江戸城を奪うことに成功。河越城に追い落とされた朝興は、歯がみして悔しがりながらも、河越城を拠点に巻き返しをはかった。

 だが、1536年(天文5)、朝興はこころざし半ばにして没してしまう。あとをついだ朝定はまだ少年だったが、扇谷家中は一致団結して、若い朝定を盛り立てようとした。そして、氏綱が駿河の今川氏や上総武田氏との戦いに忙しいのを見はからって、江戸城奪回作戦に打って出たのだ。
 
 深大寺は、河越城から平らな武蔵野台地をまっすぐに南下して、多摩川を渡る手前にある。扇谷家中は、歴戦の勇将だった難波田弾正を派遣して、この場所に江戸城奪回作戦のための基地を造ることにした。
 
 深大寺は、多摩川を渡ってくる北条軍を食い止め、江戸城を横から突くことができるのと同時に、氏綱が多摩地方に勢力を広げないための防波堤としても、うってつけの場所だった。

 深大寺城の場所には、それ以前にも扇谷上杉氏が小さな城を築いていた。しかし難波田は、小さな城を改修して使うのではなく、まったく新しい城を築くことにした。江戸城奪回作戦を行うためには、扇谷軍の主力をそっくり収容できるような、大きくて守りの堅い城が必要だったからだ。

 ここで、さきほどのソバや水車を思い起こしてほしい。深大寺の地には、豊かな湧き水がある。たくさんの将兵や軍馬が駐屯しても飲み水には困らない、ということだ。作戦基地としてたくさんの将兵が駐屯するための条件が、ここには備わっていたのである。こうして深大寺城は、北条氏綱にとって目の上のタンコブのような城となった。

 この城は、主郭・二ノ曲輪・三ノ曲輪を、一列に並べてある。舌状台地の南・東・北の三方は低地や谷で、敵が近づきにくいからだ。この城を攻めようと思ったら、台地が同じ高さで続いてゆく西側から攻め込むしかない。

 だから、一番攻め込みにくい東端に主郭を置いて、舌状台地を三つに区切り、二ノ曲輪・三ノ曲輪を一列に並べたのだ。

 この城を攻め落とそうと思ったら、西側から攻撃を仕掛けて、三ノ曲輪、二ノ曲輪と順番に潰してゆかなくてはならない。

 一方、城を守る側は、三ノ曲輪で防ぎきれなくなったら、二ノ曲輪まで下がって食い止める。それでも押し込まれて、二ノ曲輪が持ちこたえられなくなったら、生き残った全員で主郭に立て籠もり、味方が救援に来るまで頑張ろう。

 こうして二、三日の間、何とか持ちこたえることができたら、今の神代植物公園のあたりで、駆けつけた扇谷軍主力と北条軍との間で、決戦が起きるかもしれない。その時は、生き残った城兵たちが一丸になって、決死の覚悟で出撃だ!

深大寺城、衝撃の最期

 深大寺城を守る難波田弾正は、きっとそのようなシナリオを思いえがいていたのだろう。そして、1537年(天文6)7月、駿河や上総での戦いを一段落させた北条氏綱は、あちこちからかき集めた軍勢を率いて、江戸城に入った。難波田も、決戦に備えて身がまえたにちがいない。ところが──。

 氏綱は、深大寺城には目もくれず、一気気に河越城へと押し寄せたのだ。あわてて出陣した扇谷軍は蹴け 散らされ、駆けつけた難波田も、扇谷朝定を守って松山城へ落ちのびるのが精一杯だった。

 こうして、扇谷軍の江戸城奪回作戦は幻に終わり、深大寺城は一夜にして存在価値を失ってしまった。やがて廃墟となった城跡には草木がおい茂り、土塁は崩れて堀も埋まり、現在に至っている。

まだまだある東京のすごい城

滝山城

・滝山城(東京都八王子市丹木町ほか)
 北条氏照の居城で、土の城としては全国最強。スゴすぎて、この本では紹介しきれない。
京王線・JR八王子駅から戸吹方面行バス滝山城址下、下車すぐ。

・世田谷城(東京都世田谷区豪徳寺2丁目)
 もっとも遺存のよい曲輪は立入不可だが、世田谷城址公園内にも塁壕の一部が見られる。
東急世田谷線上町駅から北へ徒歩5分。

・奥沢城(東京都世田谷区奥沢7丁目)
 浄真寺の境内に土塁が残る。境内の周囲を注意深く歩くと、道路が堀跡と判明する。
東急世田谷線九品仏駅から北へ徒歩3分。

・高幡城(東京都日野市高幡)
 高幡不動の裏山に曲輪や堀切が残る。新撰組関係の史跡と合わせて散策するのも楽しい。
京王線高幡不動駅から西へ徒歩5分。

・片倉城(東京都八王子市片倉町)
 2駅利用可の超優良物件。近代以降にだいぶ崩されてはいるが、土塁や堀も見ごたえ充分。
京王線・JR横浜線片倉駅から徒歩5分。

・今井城(東京都青梅市今井1丁目)
 思わず守ってあげたくなる、小さくかわいい城。雑木林として非常に良好に保存。
JR青梅線東青梅駅北口から入間市駅行きバスで原今井下車、北へ徒歩5分。

・藤橋城(東京都青梅市藤橋2丁目)
 公園の中に土塁・堀・櫓台が保存されている。今井城とセットでどうぞ。
JR青梅線東青梅駅北口から入間市駅行きバスで藤橋下車、北へ徒歩5分。

・勝沼城(東京都青梅市東青梅6丁目)
 横矢掛りなどの工夫が凝らされ見ごたえのある縄張りだが、藪がちで歩きにくいのが難。
JR青梅線東青梅駅から北東へ徒歩15分。

・小野路城(東京都町田市小野路町)
 丘城だが、地形が複雑なので意外に難度が高い。初心者の単独行では迷子の怖れあり。
小田急線鶴川駅-京王・小田急多摩センター駅間バスで小野神社前下車、北西へ徒歩20分。
 

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西股 総生

にしまた ふさお

1961 年、北海道生まれ。学習院大学文学部史学科卒業。同大学院史学科専攻・博士課程前期課程卒業。目黒区教育委員会嘱託、三鷹市遺跡調査委員会、㈱武蔵文化財 研究所を経て現在フリー・ライター。城館史料学会、中世城郭研究会、日本考古学協会会員。著書に『戦国の軍隊』『「城取り」 の軍事学』『土の城指南』(以上、学研パブリッシング)、共著に『今日から歩ける! 超入門 山城へGO!』(学研バブリッシング)、『神奈川県中世城郭図鑑』(戎光祥出版)、他城郭・戦国関係の雑誌記事・論考、調査報告書など多数執筆。2016 年大河ドラマ『真田丸』では戦国軍事考証を務める。


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  • 2017.04.21