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森博嗣 道なき未知「掃除をした人は綺麗に見える」

掃除をした人は綺麗に見える


「生きづらさ」がしきりに喧伝される世の中で、どうすれば「生きやすさ」を手に入れることができるのだろうか――『すてべてがFになる』などのベストセラーで知られる作家・森博嗣が書いた新刊『道なき未知』が話題を呼んでいる。「発想」ひとつでわれわれの日常は変わっていく。本書に収録した「掃除をした人は綺麗に見える」を紹介する。

 

【掃除をした人は綺麗に見える】

■庭掃除は自然破壊

 自分の責任エリアしか掃除をしない人間なので大きなことは言えない、と自覚しているけれど、それでも、掃除という行為は、エントロピィ増大への抵抗という意味で、実に生命的というのか、人間らしい行動である。
 工作室などを整理・整頓するのは、効率や安全性の観点から実質的なメリットがある。しかし、僕が最も時間を費やす庭掃除は、何が目的なのかと考えると、不思議な気持ちになる。落葉を掃き集めたり、雑草を取り除いたり、手入れをすることで実現されるのは、明らかに不自然な光景なのだ。放っておくのが一番自然保護になりはしないか。
 しかし、人間の感覚として、掃除をして異物を排除すると、そこが「綺麗」になったと感じるのだ。この感情は、人間にとっては自然である。ようするに、「人工」というものは、人間の頭脳が考案した秩序であって、人はその秩序を「綺麗になった」と評価するのだ。
 桜が満開になると「ああ、自然は綺麗だ」と感じるかもしれないが、同じように、散っても自然だし、咲かなくても自然である。大風で老木が折れて倒れるのも自然だ。倒れないように補強をすることは、明らかな自然破壊といえる。
 桜が綺麗に見えるのは、たまたま一斉に花が咲く瞬間にだけ、人間的な統制というか「秩序」を感じているからにすぎないだろう。
 子供は、満開の桜を見て、「うわ、凄いな」とは思うかもしれないが、「綺麗だ」とは思わないだろう。その感覚の大部分は、大人たちからインプットされた後天的な観念であり、つまりは自然ではなく、人工的な、ある種の思想、あるいは文化なのである。
 まあ、虫は花が好きだし、植物も動物を惹きつけるための戦略として花を咲かせているのだから、そういった意味ならば、桜の樹に「乗せられている」ともいえる。
 庭掃除に話を戻すと、管理が行き届いた庭園は、どこの文化圏でも例外なく人工的である。人間が棲みやすいように害虫を取り除く意味があるし、人間が気に入った植物だけを育成する目的を持っている。
 たとえば、農業などは、もの凄く自然に逆らっていて、大いなる自然破壊といえる。どうやら、恵みある都合の良い自然だけを、人間は「美しい自然環境」と呼び、そうでない自然は、すべて「災害」に分類してしまうようだ。

 

■着手した人に見えるもの

 掃除をしていて一番感じることは、掃除をした人にだけ見えてくる「綺麗さ」がある、という点である。これは、掃除をした人ならば誰でも感じることだろう。逆に言えば、掃除をする人には、掃除がされていない場所の汚さが見える。掃除をしない人には、その汚さが見えない。汚さが見えないから、掃除をしないのかもしれない。
 単純に考えれば、これは、そこを見つめている時間の長さに起因しているだろう。自分の手を動かして掃除をすると、汚れがだんだん見えてくるものだ。
 たとえば、ミニカーの完成品を購入して飾ると、毎日それを見る。金を払ったから眺めることになる。さらに、プラモデルであれば、そのモデルを長時間見続けることになるから、その形状のあらゆる部位を目に焼きつけることになる。模型を作る作業というのは、そういう意味合いを持っている。ものを作ることの意義の大部分も、この長時間対象を見続ける体験にあるように、僕は感じている。
 物語なども、読んだり、見たりしているトータルの時間の長さが、結局はその人の脳へのインプット量に比例しているだろう。長時間かけたものは、それなりの価値がある。この意味では、「読みやすい」ものよりも「読み甲斐のある」ものの方が印象に残るはずである。
 極端な話をすれば、そもそも、その対象に接しない目には、その対象の優劣を見比べることはできない。綺麗か汚いか、という概念さえ生まれないからだ。
 それを知らない人は、「庭が綺麗って、どういう意味?」となる。また同様に、「文章を読んで、何か得られるの?」となるはずである。
 人は、対象に手をつけないと、その概念さえ頭に持たないのである。

 

■桜は人間がいなくても咲く

 僕が住んでいる町には、桜はない。あるかもしれないが、見かけない。聞いた話では、隣町にあるという。これが咲くのは五月らしい。誰も「開花宣言」などしないなか、桜はひっそりと咲く。「ひっそり」と思うのは、桜ではなく人間である。

 

氷点下10℃以下になると、シャボン玉が空中で凍る。低温でも日差しが暖かい冬の日の遊び。

 

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森博嗣

もり ひろし

1957年愛知県生まれ。工学博士。某国立大学工学部建築学科で研究をするかたわら、1996年に『すべてがFになる』で第1回「メフィスト賞」を受賞し、衝撃の作家デビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか、「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、また『The cream of the notes』シリーズ(講談社文庫)、『小説家という職業』(集英社新書)、『科学的とはどういう意味か』(新潮新書)、『孤独の価値』(幻冬舎新書)、『道なき未知』(小社刊)などのエッセィを多数刊行している。

 

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