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監督としても3000試合出場の大記録を達成したノムさん。「すべては、支えてくれた人たちがいたからこそ」

野村克也さん3月毎日更新 Q.23 ヤクルトスワローズの監督退任後の監督人生について聞かせてください。

野球の本質はどこにあるのか

 一人ひとりに沁み込んだ間違った考え方を正せば、チームは一気に変わることもあります。しかし、何十年も刷り込まれてきたチームカラーを変えるには、それなりの時間を要することも前提にしなければならないということでしょうか。

写真/高橋亘

 話を戻すと、私はその後、2002年秋から3年間、社会人野球のシダックスの監督を務めました。そこでは、フォア・ザ・チームの大切さを再確認しましたね。みんなが一丸となってチームの優勝を目指す野球。野球の本質は、そこにあるんです。

 そして東北楽天イーグルスの監督に就任したのは、2005年のシーズンオフでした。

 前年勝率が3割にも満たない圧倒的最下位だったチームの改革として、私は3年契約の1年目を「作る年」、2年目を「変革する年」、3年目を「勝つ年」と捉えていました。

 結果的には1年多くかかりましたが、4年目には球団創設以来初の2位となり、クライマックスシリーズに出場することができました。

 ただ、できることならクライマックスシリーズも制して、どんなときでも熱心に応援してくれた仙台をはじめ、東北の人たちに、地元での日本シリーズを見せてあげたかった。 それは2013年に星野監督のもとで実現するわけですが、当時の私には心残りでしたね。

 3206試合、1566勝1564敗76引き分け、勝率.500、リーグ優勝5回、日本一3回――。

 これが、合計24年間におよぶプロ野球の監督時代の成績です。

 選手としても3017試合出場していますが、選手、監督の両方で3000試合以上出場しているのは、世界中のプロ野球の歴史を見ても、私しかいないそうです。

 ただし言うまでもないことですが、振り返ってみて、自分の力だけでここまでの記録を残すことはできなかった。

 自分自身を素質も実力もない不器用な人間だと理解しています。誰よりも努力を積み重ねてきたという自負はありますが、その背後には常に私のことを信頼し、支えてくれた人たちが数多くいてくれました。

 彼らの期待を裏切ってはいけない。

 その一心でグラウンドに立ち続けたからこそ、今もこうしてプロ野球の世界に携わることができているのではないかと思います。

明日は第二十四回の質問です。

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野村 克也

のむら かつや

1935年、京都府生まれ。1954年にテスト生として南海ホークスに入団。1980年に45歳で現役を引退、解説者となる。1990年には、ヤクルトスワローズの監督に就任し、4度のリーグ優勝、3度の日本一に導く。1999年から3年間、阪神タイガースの監督、2002年から社会人野球のシダックス監督、2006年から東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を歴任。2010年に再び解説者となり、現在、多方面で活躍中。


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