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監督としても3000試合出場の大記録を達成したノムさん。「すべては、支えてくれた人たちがいたからこそ」

野村克也さん3月毎日更新 Q.23 ヤクルトスワローズの監督退任後の監督人生について聞かせてください。

1566勝1564敗76引き分け、勝率.500、リーグ優勝5回、日本一3回――。監督として指揮をとった試合は3000試合以上。なぜ、ここまでやれたのか。「常に私のことを信頼し、支えてくれた人たちがいた」周りのサポートがあったからこそ。そしてその期待を裏切るまいと、地道な努力を継続できた。新刊『壁』を発売した野村克也氏が、ヤクルトスワローズの監督退任後の監督人生を語る。

期待を裏切ってはいけない一心で、グラウンドに立ち続けた

 1998年のシーズンオフにヤクルトスワローズの監督を退任した後、阪神タイガースの監督に就任しました。

 低迷していたチームの建て直しを任されたわけですが、そのためには、私が培ってきた数々の野球理論で詰め込んだ「野村の考え」を、いかに選手たちに教え込むかがポイントでした。

 それが何よりも重要だと考え、春のキャンプでは、練習後に毎晩「野村時間」と呼ばれたミーティングの場を設け、徹底したんです。

 ただ、スワローズの監督時代は、選手たちが「もっと強くなりたい。同じ東京に本拠地を構える、読売ジャイアンツに負けてたまるか」という向上心を持っていました。だからこそ私の言葉に素直に耳を傾けてくれたのですが、タイガースでは、そうはいきませんでした。

 正直に言うと、タイガースの選手たちから、そこまでの貪欲さを感じることができなかった。「もっと貪欲になれ」と言っても、チームに沁み込んだ野球そのものへの考え方を変え、もっと言えば、人間を成長させるための向上心を持たせるには、とても2、3年では無理だったと思います。

 結局、私が指揮をとった3年間、「野村の考え」はほとんど浸透せず、連続で最下位という不本意な結果に終わってしまったのは残念でなりません。

 一般の会社でもそうなのでしょうが、チームや会社に「理念」や「考え」を植え付けることの難しさを私は身を持って経験したわけです。

次のページ何十年もかかってできたカラーを変えるには? 

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野村克也元監督 最新刊『壁』3月18日発売!

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野村 克也

のむら かつや

1935年、京都府生まれ。1954年にテスト生として南海ホークスに入団。1980年に45歳で現役を引退、解説者となる。1990年には、ヤクルトスワローズの監督に就任し、4度のリーグ優勝、3度の日本一に導く。1999年から3年間、阪神タイガースの監督、2002年から社会人野球のシダックス監督、2006年から東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を歴任。2010年に再び解説者となり、現在、多方面で活躍中。


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