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『かもめ食堂』に見るミニマリズムの原型

「最小限主義の心理学」不定期連載第13回

床塗りとカウンターテーブル

 最近、またコーヒーを淹れる機会が多くなった。
 きっかけは、床塗りとカウンターテーブル。
 壁側に沿うようにして置いていたカウンターテーブルは、その大事な役割であるボックスの中がガラガラになってきて、もう捨ててもいいんじゃないかと日々考えていた。
 それが、正月に床を白く塗る機会があり、なぜかそのあとからまた頻繁に豆を挽き、コーヒーをプアオーバー(注いで)で淹れるようになったのだ。
 もう要らないと思っていたカウンターテーブルで。

 

 今までカウンターテーブルは壁にぴったりと沿わせていた。
 もともとはカウンターキッチンとして置いていたが、3年ほど前から、壁に沿わせる位置に移動。キッチンを遮るものがなくなり、部屋が広く見えるようになった。
 それを今回、床を塗るために少し部屋の中心側にずらした。
 そのまま、床塗りは完成。濃いブラウンだった床は白くなり、壁も天井も元々白のペンキで塗っていたので、部屋全体が真っ白になった。
 カウンターテーブルは床が乾いたら元に戻そうと考えていたけれど、写真を撮っていて「ん?」となった。
 なかなか趣きがいい。
 ぽつんと部屋の途中に佇む感じが、ミニマリズムの何かを感じさせる。
 壁につけておくより、何か空間性を感じるのだ。
 いいなぁと思いつつ、そこでお茶を淹れると、やはりいい。
 バーのような雰囲気もあるし、落ち着く感じもある。
 壁を背にして、部屋を見ながらお湯を注ぐ。
 これは、4年前のミニマリズムを始めたときの感覚と同じだ。
 2013年の秋、私は部屋のモノというモノを捨て、すっきりとした空間を手に入れた。
 きっかけは2011年ごろに見た、部屋に飾り物がほとんどない部屋の写真。それを目標に、モノ捨てをスタートした。ゴミ袋がまだ部屋に積まれている大掃除(2ヶ月くらい続いた)の最中、妻がコーヒーを挽いて家で飲みたいと言い出した。
 コーヒーは元々好きだった。
 10年くらい前は家にエスプレッソマシンが何台かあったし、その後も仕事の関係でコーヒーメーカーをもらう機会が多く、常に家にはコーヒーを飲むための道具があった。
 そうしたブームは一段落し、掃除のころにはコーヒーメーカーが一切、家にない状態になっていた。
 妻がどうしてハンドドリップをしたくなったのかは詳しく聞いていないけど、すっきりした部屋でサードウェーブ(シンプルな店内であまりブレンドされていない豆をプアオーバーで淹れる店)な気分を味わうのは悪くないなと思い、すぐに近所の店に買いに行った。
 それ以来、すっきりした部屋を眺めながら、ハンドドリップする毎日を楽しんだ。
 それから4年。いつのまにかカウンターテーブルはカウンターキッチン的な配置ではなくなり、壁に沿うようになった。すると、私はコーヒーやお茶をキッチンで淹れるようになった。壁を向いて淹れるのだ。
 それがいかにつまらなかったか。床を白く塗って、位置をずらしたカウンターテーブルでコーヒーを淹れるようになって、気づいた。同時に、コーヒーとミニマリズムを自分の中で引き離せない理由を時々考えるようになった。
 私がミニマリズムという言葉に惹かれたころ、ミニマリズムのイメージは具体的にアメリカから伝わってこなかった。部屋の様子が美しい画として惹かれるほどではなく、まだ荒削りだった。最終的にはモノを最小限にして、旅に出るという結末のイメージがあったけれども、自分もそうしたいと思ったわけではない。今思うとまだまだ男性的で、乾いた感じがした。
 一方で、サードウェーブの画像はいくつかあった。
 カウンターテーブルに立ちながら、コーヒーを淹れる店員。
 その時間を感じるために、余計なものが置かれていない空間、お店がある。
 従来の喫茶店やシアトル系の店と違い、店のデザインは実にシンプル、ミニマルだ。
 その淹れる行為も機械と違って静かでシンプル。小さな小さな人としての幸せが垣間見える。
 そういうミニマルな空間、イメージには強烈に惹かれた。このイメージを少し片付いた自分の部屋で実現するために、「ミニマリズム」という方法は圧倒的に相性がいいと思った。そうして、まだ乾いたイメージだったミニマリズムという言葉に、少し潤いが出てきたのだ。
 そんなことを書きながら考えていると、ある映画を思い出す。
 2006年に公開された映画《かもめ食堂》だ。
 

プアオーバーもミニマリズムも詰まった映画

 日本でヒットし多くのファンを生んだあの映画。
 思い出してみると、ミニマリズムに繋がるイメージを、あのカフェ空間やおにぎりで表現していた。
 フィンランドのヘルシンキにある小さなカフェで、おにぎりを握る、鮭を焼く。それだけ。豆を挽き、コーヒーを淹れる。お客が少しずつ来て、シンプルな食事の幸せに気づく。
 気になってもう一度観てみると、最初に登場する食堂のシーンで、テーブルの上には何もない。
 メニューもないのだ。
 外の光はしっかり入ってくる。それが温かく、潤いがある。
 私はこの映画の影響を受けたのか、そのあとデンマークのコペンハーゲンに「ヒューゲ」というデンマーク独特の幸福感を表す言葉の意味を求めて取材旅行に行ったことがある。
 コペンハーゲンも、その後に行ったアムステルダムも、シンプルなデザインとシンプルなインテリアデザインという価値観はすでに存在していた。やはりゲルマン系の国にはシンプリシティの美学があり、チョコレートショップもブックショップも極めてオシャレだった。
 そういったデザイン空間やライフスタイルが、間違いなく、好きだった。
 質素に暮らすことを美学とするプロテスタントから生まれたゲルマン、北欧スカンジナビアのシンプリシティのデザインや暮らし。
 カフェを中心にそのデザイン思想は共感を呼び、海を越えてアメリカのポートランドやLA、サンフランシスコにサードウェーブのカフェを生む。
 ミニマルな美学が世界に拡がっていった。
『かもめ食堂』から少しだけオシャレになって、それが自分の部屋にまでやってきた。今の今まで、『かもめ食堂』とミニマリズムには何の関係もないと思っていたけれど。
 もし私がミニマリズムという言葉を、単に「モノをとにかく少なくする」と捉え、コーヒーメーカーも持たず、急須にお湯を注ぐこともなく、和食を大事にしなかったら、続けられなかったかもしれない。
 人によっては、ミニマリズムはミニマリズムで、コーヒーともお茶とも関係がないが、私にとってはミニマリズムは極私的な体験と捉えているから、私はそうやって勝手にイメージングしてきた。
 世界中でぐるぐると影響し合い、巡っているイメージとキーワードが脳内に入ってくる。とうに忘れた映画や本のイメージも、気づかないだけで脳内において元気に暮らしているのだ。
 思い出した以上、どんな部屋で暮らしたいのか? と問われると、「『かもめ食堂』のような部屋で」と答えるし、「サードウェーブの店のような部屋で」とも答えることになる。なんだかすっきりしてきた。
 それに、自分の部屋をミニマルのカフェのような部屋にしたいと思えば、ミニマリズムは役に立つ。
 ところで、サードウェーブの原型も『かもめ食堂』に見つけた。
 すっかり忘れていたけれど、『かもめ食堂』の中には、コーヒーを淹れるシーンがあったのだ。シンプルな店内でプアオーバーする風景は新鮮だなぁと当時は思っていて、あの映画を思い出すことなんて一切なかったのに。
 前の店のオーナーが店にふらっと立ち寄り、美味しくなる呪文「コピ・ルアック」ととなえながら、プアオーバーをするシーン。
 今から10年以上も前、ハンドドリップ&プアオーバーが流行る5年以上も前のことだった。

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沼畑 直樹

ぬまはた なおき

ミニマリスト。テーブルマガジンズ代表。元バックパッカー。

2013年、「ミニマリズム」「ミニマリスト」についての記事を発表し、佐々木典士氏とともにブログサイト≪ミニマル&イズム(minimalism.jp)≫をたち上げる。 著書は、小説『ハテナシ』、写真集『ジヴェリ』『パールロード』(Rem York Maash Haas名義)など。


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