【出版局長が脳梗塞に】リハビリテーション病院に集う患者さんたちとその人間模様【真柄弘継】連載第7回
【連載】脳梗塞で半身不随になった出版局長の「 社会復帰までの陽気なリハビリ日記」163日間〈第7回〉
◆「見守り」で終日食堂で過ごさねばならない患者さんたち
S本さんは80歳。
窓際席で食事をされており、晩御飯の後にラウンジで字を書く練習をされていた。
期限一杯入院していたが、車椅子での退院であった。
とても知的な方で、教養・見識の豊かな本当のインテリであった。
退院後は特養老人ホームではなく、ご自宅に帰られるとのこと。
風呂の入り方など日常的なことを最後までリハビリされていた。
K本さんは87歳の笑顔が素敵な女性。
私が自立前の見守りの時に、食堂で介護士さんを呼ぼうとしたが気づいてもらえず途方にくれていたことがあった。
それに気がついたK本さんが代わりに大きな声で呼んでくださったのだ。
ちなみに、私はこの時はまだ大きな声が出せなかった。
自分が動けるようになってからその時の恩義をご挨拶で返しに行った。
お話しをしたら、オードリー・ヘップバーンが大好きな素敵なおばあちゃんだった。
とっても優しい人柄で、それ以降は朝晩必ず挨拶をした。
時にはリハビリですれ違う際にお互いに手を振りあったり、世間話ができるほど親しくなれた。
K本さんはずっと見守りで食堂にいる。
朝起きてから夜眠るまで、リハビリ以外はずっと食堂で過ごすのである。
朝6時過ぎから夜は20時過ぎまで、実に14時間。
そんな生活を180日も過ごされる精神力はいかほどであろう。
たまにテーブルに突っ伏して寝ていることもある。
起きている時はマスク越しに周りを眺めて過ごされているのだ。
9月末の入院期限まで、すでに半年近くここで過ごされているのに、いつもニコニコされている観音様のような人である。
N中さんは私より少しお姉さんの65歳。
脳出血で昨年の11月に急性期病院に入院され。
リハビリテーション病院へは4月に転院されてきたそうだ。
日曜日の夜の足湯で隣り合わせたことから親しくなった。
いつも「いってらっしゃい」「おかえりなさい」「お疲れ様」と声を掛けてくださるようになった。
毎週日曜日の足湯では様々なことを話した。
ある時は旦那さんとの馴れ初めを教えてもらった。
取引先の男性で仕事を通じて知り合い26歳の時に結婚。
二人の子どもに恵まれ、ずっと専業主婦の人生を過ごされてきたそう。
面会に来ていた旦那さんにもご挨拶した。
いつも声を掛けてくださることにお礼を伝えたのである。
N中さんも見守りで、朝起きてから夜寝るまで食堂で過ごされるのだ。
歩くことは出来るのだが、脳の後遺症からだろうか、長く話すことができない。
会話の途中で俯いて黙ることがしばしば。
私はリハビリテーション病院だけの関わりだけど、家族はずっと一緒に暮らしていくのだから、その大変さは想像を絶するものだ。
このリハビリテーション病院は、2階3階4階にそれぞれ60名の患者が入院している。
患者は自分の部屋があるフロア以外の病棟フロアへは行くことが出来ない。
見守りで終日食堂で過ごしている人数は各フロア合わせて全体で50~60人はいるだろうか。
多いか少ないかは判断出来ないけれど、自由に動けない患者がそれほどいるわけだ。
何故、彼らは見守りされているのか?
まず、身体が麻痺で自由に動けない患者がいる。
私も転院から15日間は見守りだった。
次に、高齢で認知が低くなっている患者。
いわゆる徘徊などして転倒の危険性が高い人である。
他には、下肢切断などで動きが不自由な患者などである。
麻痺や切断などは回復することで自由に身体を動かすことが出来るようになる。
回復の難しい認知症患者は入院期限180日を見守りで過ごす可能性が高い。
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