【出版局長が脳梗塞に】リハビリテーション病院に集う患者さんたちとその人間模様【真柄弘継】連載第7回 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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【出版局長が脳梗塞に】リハビリテーション病院に集う患者さんたちとその人間模様【真柄弘継】連載第7回

【連載】脳梗塞で半身不随になった出版局長の「 社会復帰までの陽気なリハビリ日記」163日間〈第7回〉


「まさかオレが!? 脳梗塞に!」ある日突然人生が一変。衝撃の事態に見舞われ仕事現場も大混乱!現役出版局長が綴った「半身不随から社会復帰するまでのリアル奮闘日記」。連載配信前から出版界ですでに話題に!だって名物営業マンですから!

誰もが発症の可能性がである「脳卒中」。実際に経験したものでないと分からない〝過酷な現実と絶望〟。将来の不安を抱えながらも、立ち直るべくスタートした地獄のリハビリ生活を、持ち前の陽気さと前向きな性格でもって日々実直に書き留めていったのが、このユーモラスな実録体験記である

リハビリで復活するまでの様子だけでなく、共に過ごしたセラピストや介護士たちとの交流、社会が抱える医療制度の問題、著者自身の生い立ちや仕事への関わり方まで。 克明に記された出来事の数々は、もしやそれって「明日は我が身!?」との声も!?  笑いあり涙ありの怒涛のリハビリ日記を連載で公開していく。

第7回は「ハビリテーション病院に集う患者さんたちとその人間模様

出版局長の明日はどっちだ!?  50代働き盛りのオッサンは必読!


イメージ写真:PIXTA

 

第7回

リハビリテーション病院に集う患者さんたちとその人間模様

 

◆そこは様々な経歴や症状を持つ人たちと出会う「人生の交差路」だった!

 

今回はリハビリテーション病院で知り合った患者さんたちを紹介します。

 

朝、ラウンジで知り合ったS原さんとS田さん。

S原さんは78歳の女性。

S田さんは62歳の男性。

 

S原さんは約束していたランチに現れず、心配になった友人が家を訪問。

意識を無くして倒れており、脳梗塞で緊急搬送。

私と同じ半身不随だったが、杖も使わずに元気な姿で退院されました。

相当に回復されていたのだろう。

気ままな一人暮らし。

今ごろはきっと友人たちと楽しくお昼ごはんを食べて、愉快に暮らしているのではないかな。

 

S田さんは自営業の社長さん。

階段で滑って頸椎損傷。

寝たきりになるところを、リハビリテーション病院で回復。

退院直前は本当に患者だったのかと思うほどで、院内の廊下を走る姿も。

元気に退院されました。

S田さんは基本塗装業、けど何でも屋だそう。

23歳で独立され、以来40年間社長業をされているイケオジ。

頸椎損傷でも寝たきりにならず、退院したら早く現場に戻りたがっていた。

何でも屋だけに、人の手配から現場の段取り、元請けとの交渉と、一人でなんでもこなされているそうだ。

現場も1ヵ所でなく、何ヵ所もあるから見回りだけで終わる日もあるとか。

仕事が趣味とのことで、健康な時は仕事が終わったらお酒を呑んで夜を過ごされていたそうだ。

入院生活では夜7時に寝て、朝は5時に起きる規則正しいサイクルになったという。

お酒が好きとのことだが、退院したら断酒すると心に決めたと言っていた。

来年、私が退院して元気な姿になったら、お互いが行くスーパーで待ち合わせを約束。

電話番号を交換したのであった。

 

二人が退院してしまったので朝のラウンジでは一人過ごすしかないなと寂しく思っていた。

そこへ杖を使って現れたのがK宮さんである。

なんと偶然にもリハビリテーション病院に入院した日が同じ。

まさに同期の転院仲間であった。

K宮さんは脊椎疾患で手足が痺れて手術を受け、2ヶ月して転院してきたそうだ。

長身のガッシリ体型で、消防士から救急隊員となり60歳で定年。

定年後は嘱託で総合病院の救命士を65歳まで勤めあげた方である。

老後を考えていた矢先に脊椎疾患でリハビリテーション病院へとなったとのこと。

救急隊員だけに、緊急搬送の様々な出来事を教えていただいた。

リハビリが同時期だけに、朝のラウンジの語らいタイムでいろいろな話しをさせていただいた。

K宮さんは2ヶ月少々で退院となった。

 

隔離が終わり食事は患者さんが一堂に集まる食堂でとなる。

一人一人の席(ドトールコーヒーの窓際の席みたいな)か、4人掛けのテーブル席の二択。

最大で5ヶ月も入院生活を送るなら、ずっと窓に向かって一人でする食事は実に寂しく、相席を迷わず選んだ。

 

指定されたのは、テレビモニターの真ん前のテーブル。

窓際席の隣でもあって眺めも良い席だった。

そこには85歳のO井さんと37歳で2階病棟の最年少K高さんがいた。

 

O井さんは高齢とはいえ頭はしっかりしている。

電機技師をしていた頃にイラクへ出張した時の話や、お好きな競輪の話、私生活でのあれこれなど、毎日食事の時にお話をした。

私の父と同じくらいの方だけに、私も手伝えること(新聞を取るなど)があれば、彼のために惜しみなく協力していた。

ある時、スマホの音量を変更したいと言われた。

真夜中に見知らぬ番号が鳴って目が覚めてしまうと困っていたのだ。

らくらくホンだったので設定も簡単。

音量調整し、実際はどうかと私の携帯からコールして確認。

そうしたら、私の番号を登録してくださり、

「これもご縁だから、退院したら連絡するから」

とおっしゃってくださった。

退院の日は誰もがいつも通り朝食を一緒に食べてからになるので、

「いつまでもお元気で、長生きしてくださいね」

と挨拶をしたのである。

 

K高さんは私と同じ脳疾患で入院。

食事前にはイラストを描いていた。もうすぐ退院の人かなと思っていた。

けれど会話をしたところ、彼が高次脳機能障害だとわかった。

話し方もゆっくりで、周りへの注意力や配慮は難しいようであった。

彼は急性期病院を昨年の11月に入院。

リハビリテーション病院へは2月に転院されたそう。

入院期限一杯で退院していった。

その後は外来でリハビリに来られており、元気な様子で手を振ってくれた。

彼は退院の日に看護師さんから心配されていたのが印象的だった。

次のページ「見守り」で終日食堂で過ごさねばならない患者さんたち

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真柄弘継

まがら ひろつぐ

現役出版局長

1966年丙午(ひのえうま)126日生まれ。

1988年(昭和63)に昭和最後の新卒として出版社に勤める。

以来、5つの出版社で販売、販売促進、編集、製作、広告の職務に従事して現在に至る。

出版一筋37年。業界の集まりでは様々な問題提起を行っている。

中でも書店問題では、町の本屋さんを守るため雑誌やネットなどのメディアで、いかにして紙の本の読者を増やすのか発信している。

 

2025年68日に脳梗塞を発症して半身不随の寝たきりとなる。

急性期病院16日間、回復期病院147日間、過酷なリハビリと自主トレーニング(103キロの体重が73キロに減量)で歩けるまで回復する。

入院期間の163日間はセラピスト、介護士、看護師、入院患者たちとの交流を日記に書き留めてきた。

自分自身が身体障害者となったことで、年間196万人の脳卒中患者たちや、その家族に向けてリハビリテーション病院の存在意義とリハビリの重要性を日記に書き記す。

また「転ばぬ先の杖」として、健康に過ごしている人たちへも、予防の大切さといざ脳卒中を発症した際の対処法を、リアルなリハビリの現場から当事者として警鐘を鳴らしている。

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