越境的専門誌『ワトソンJAPAN』と『GURU』【新保信長】 連載「体験的雑誌クロニクル」25冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」25冊目
同様に、専門誌の枠を超えた専門誌が『PC-PAGE GURU』(翔泳社)である。創刊号は1994年2月発行。A4判・平綴じでマット調の紙質は『ワトソンJAPAN』と共通する。タイトルの「PC-PAGE」と「コンピュータ世代の生活情報誌」とのキャッチコピーが示すとおり、ジャンルとしてはパソコン誌ということになろう。
しかし、内容的には“パソコン誌の皮をかぶったサブカル誌”としか言いようがない。まず「天孫降臨号」「細胞分裂増殖号」「粗製濫造号」「一触即発号」といった各号のサブタイトル(?)がふざけているし、ぶっ飛んだ表紙と目次デザインは、かの祖父江慎だ。

創刊号の特集「不良のためのコンピュータ白書」に登場するのは、布施英人、いがらしみきお、高城剛、津野海太郎、中ザワヒデキ、高杉弾、神足裕司、飴屋法水、平沢進、粉川哲夫ほか。連載陣がまたすごくて、荒木経惟、伴田良輔、南伸坊、とり・みき、宮沢章夫、橘川幸夫、内田春菊と錚々たるメンバー。巻末のコラムページにも椹木野衣、秋田昌美、江戸木純、松沢呉一、こじままさき、加藤賢崇といった名前が並ぶ。これはもうパソコン誌というより、『ガロ』とか『写真時代』の仲間である。
2号の特集は「愛と混沌のパソコン通信」。一見普通のパソコン誌っぽくもあるが、サブタイトルは「ビックリハウサーの逆襲vs暴走するGURU」って、そこで「ビックリハウサー」なんてフレーズが出てくるとは!
ビックリハウサーとは、前出『ワンダーランド』(のちの『宝島』)と並ぶ伝説的サブカル雑誌『ビックリハウス』(パルコ出版/1975年~85年)の読者(≒信者)を指す。同誌の立役者の一人、榎本了壱がかつての雑誌投稿とパソコン通信の類似点・相違点について語った記事は、サブカル史的にも貴重である。
何しろまだWindows95も発売されておらず、ダイヤルアップ接続の時代。「パソコン通信ではこんなことが行われている」という記事があったり、付録にニフティサーブのイントロパックが付いていたりするのには隔世の感ありだが、みんながまだパソコンのことをよくわかっていない時代だからこそ、こういうパソコン誌のふりをしたサブカル誌が成立したのだろう。
かく言う私も、ワープロはかなり早くから使っていたものの、パソコンを初めて買ったのは1997年(一番ダメだった頃のマック)で、この当時はまだよくわかっていなかった。いや、今もよくわかってはいないのだが、わからなくても『GURU』の紙面からは作り手が楽しんでいる感じが伝わってきた。
4号(1994年5月発行)の特集「ニッポンのDTP」は自分の仕事とも関わるが、やっぱりよくわからず。というか、今見返すと、当時のDTPはお粗末すぎて笑えてくる。「女子高生流行通信はDTPもモノにする」と題した記事(文:永江朗)では、女子高生にガリ版新聞を作らせて、その一部をDTPで作ってみるという企画をやっているのだが、どう見てもガリ版のほうが出来栄えも味わいも断然上だ。そもそもDTP特集にガリ版が出てきた時点で「DTPとは……?」と問いたくなる。

しかし、“なんかヘンな雑誌”として独自の存在感を放っていた『GURU』は、5号をもって〈第1次5ヵ月計画を完了し、次号より第2段階に突入する〉との告知とともに2カ月間の休止に入る。そして「新装刊号」として登場した6号は、パソコンのハウツー、新製品情報などをメインとする普通のパソコン情報誌になっていた。その時点で買うのをやめたので6号以降は手元になく、国会図書館にも所蔵がないため詳細は不明だが、ネットで見つけた表紙画像を見る限り、9号で休刊になったようだ。

