『あんぱん』でも目立った朝ドラの自虐的な戦争観と、なぜか反省したがる人々の危うさを憂う【宝泉薫】
さて、話を朝ドラに戻そう。『あんぱん』で主人公が「愛国の鑑」として邁進している頃、こんなタイトルのネットニュースを見かけた。
『大罪を犯すヒロイン…「あんぱん」は朝ドラ史上最も残酷な物語に 空虚な正義と身近な正義が対立』
なんというか「大罪」や「空虚な」という決めつけにモヤっとしたものだ。また、80年も過ぎた今、その結果を十分に知る立場からの後出しじゃんけん的な気楽さも感じてしまう。ドラマとはいえ、その時代を一生懸命に生きていた人たちへの敬意にも欠けているのではないか。
ただ『あんぱん』がそういう捉え方をされる構造を持っていたことも否めない。戦争を反省してやり直したからこそ現在の日本がある、というのは、史実以上に強く深く日本人の精神性に刷り込まれてきた神話のようなものなのだ。そこに忠実なほうが感動を生みやすい。『あんぱん』の感動は、そんな神話化された予定調和を貫いたことでもたらされたといえる。
もっとも、予定調和の到達点が「逆転しない正義」というのはどうなのだろう。これは「絶対的正義」とも言い換えられるが、そもそも、人間のやることに「絶対」はない。『あんぱん』はやなせたかし夫妻が持つアンパンマン的なゆるい楽天性が底流にあったおかげで、全体的に押しつけがましさが希薄だったものの、それでも「正義」の連呼にはうるさくも感じた。正義というのは、戦争との親和性も高く、取り扱い注意なものだからだ。
実際、反省だけでは建設的対策が生まれないように「逆転しない正義」が今後の有事に効果的だとも限らない。そういえば「70年談話」の頃、こんなツイートもしていた。
・・・・・・個人的にはこの、地理的歴史的条件がいろいろ絡み合って生れた現代日本の平和というものが、もうちょっと続けばいいなとも思うけど。70年もたてば、そろそろ限界なんだろうな、って気もする。中国次第ってところも大なのかな。・・・・・・
その後の10年で、世界はより殺伐としてきて、日本周辺もまたしかりだ。当たり前のことだが、自分の幸せは自分で、自国の平和は自国で守るしかない。現実の世の中にはばいきんまんよりタチの悪い敵もいるのに、助けてくれるアンパンマンはいないのだから。
文:宝泉薫(作家・芸能評論家)
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