シノヤマ『写楽』vsアラーキー『写真時代』(後編)【新保信長】 連載「体験的雑誌クロニクル」20冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」21冊目
エロ本において「局部をいかにギリギリまで見せるか」は重要なテーマである。その点、末井氏は“工夫の人”だった。剃毛したり、透けパン、濡れパンをはかせたり、写真を小さくしてみたり。そのへんの創意工夫はバカバカしくも面白い。性器のドアップ写真に別の雑多な写真をコラージュした“オマンコラージュ”はその最たるものだ。そこに実用性があるかどうかは微妙なところではあるが。

エロを主眼としながらも、実験的写真や国内外のルポルタージュ、サブカル的記事も載っている。「写真とはこういうもの」という既成概念に囚われない。そういう意味では、やはり『写楽』と『写真時代』には相通じるものがある。その点について、前出『雑誌狂時代!』のインタビューで末井氏に問うてみれば、「僕はだいたい『写楽』を見てたんです。それをエロ本に置き換えたようなところがありますね。だから判型も同じです」との答えが返ってきた。前回、『写楽』と『写真時代』のライバル関係について「制作サイドは特に意識していなかったかもしれない」と書いたが、少なくとも末井氏は意識していたのだ。
「それまでカメラ雑誌はあったけど、〈写真の雑誌〉というのはなかったし、カメラ雑誌はものすごくつまらなかった。それがまず(『写真時代』を)作るきっかけだったんですよ。だから、『写楽』がお手本といえばお手本ですね。写真の概念を拡げるという意味では、『写楽』は頑張ってましたよね。僕も好きでしたよ、あの雑誌は。でも、小学館でやってるから、やっぱり限界がある。やっぱりカッコイイ雑誌だからね、エロにしても、グロにしても、そんなにできないと思うし。ナンセンスとか、ホントにくだらないこともできないでしょ」と末井氏は言う。
『写楽』の側も、コラムページでビニ本やAVを取り上げたり、赤外線カメラで公園のアベックの痴態を撮る吉行耕平やナンパカメラマン“マシンガンの教”こと佐々木教を『写真時代』より先に紹介したりはしている。が、やはり下品になり切れないというか、どこか格調の高さが漂う。『写楽』にあって『写真時代』になかったのは戦争関連の写真だが、雑誌の性格や予算の規模を考えればやむをえまい。どっちがいい悪いではなく、似ているようで違う、違うようで似ている2誌だったことは間違いない。