シノヤマ『写楽』vsアラーキー『写真時代』(後編)【新保信長】 連載「体験的雑誌クロニクル」20冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」21冊目
果たして、先に力尽きたのは『写楽』のほうだった。前回記したとおり、『写楽』は1986年2月号にて休刊。その頃、『写真時代』は30万部近く売れていた。しかし、雑誌が安定するのと裏腹に、当の末井氏は、だんだん飽きてきていたという。飯沢耕太郎『『写真時代』の時代!』(白水社/2002年)で、末井氏は次のように語っている。
「だいたい、もう、すぐ飽きちゃうんだよね。三、四年で飽きてたと思うんですよね。でもまあ、だんだん売れてきちゃって、どんどん部数が伸びてたから。(中略)まあ、儲かるわけだし、会社もやめさせてくれないから、どうやってやめたらいいのかみたいなことを、ちょくちょく、ちらちら考えてた」
そんな末井氏の思いが通じたのか、1988年4月号が当局のお咎めにより回収処分を食らい、そのまま休刊となってしまう。その号が特に過激だったわけではない。巻頭の「温泉ナマズ伝説」でナマズの被り物をした男が女を襲う場面など、シュールで笑ってしまうほど。とはいえ、それまで何度も呼び出しは受けていたというから、官憲スタンプカードがいっぱいになってしまったのだろう。

いわゆるわいせつ表現だけでなく、高校野球のチアリーダーのパンチラ写真など、現在の基準ではコンプライアンス的に問題な部分も多々あるが、時代も違うし、そもそもエロ本であるからして、そこを今どうこう言っても始まらない。いきなりの休刊は残念だったが、発禁回収という結末が、伝説の雑誌としてのステイタスをより高めた面はある。時代の流れを考えれば、いいタイミングで終わったのかもしれない。
山口百恵に冠された「時代と寝た女」との称号は、『写楽』1980年10月号で山口百恵の最後のグラビアに添えられた篠山紀信のエッセイが由来だが、それに倣えば『写真時代』を「時代と寝た雑誌」と言ってもいいのではないか。いや、不世出の国民的スターとサブカルエロ雑誌を一緒にするなという話ではある。が、山口百恵は1973年~80年、『写真時代』は1981年~88年と、活動期間は奇しくも同じ7年だった。山口百恵の代わりに『写真時代』が現れたと言ってもいい。え、よくないですか? そうですか。そうですね、ハイ。
文:新保信長