シノヤマ『写楽』vsアラーキー『写真時代』(後編)【新保信長】 連載「体験的雑誌クロニクル」20冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」21冊目
「わかりやすい写真」(1987年9月号)では、ヌードの女性に「谷間」「あそこ」「ふともも」などの部位を示す言葉や「ヌレヌレ」「ムチムチ」などの擬音、「ピンク色の」「むきだしの」などの形容語を打ち出した写植を貼り付けて、「わかりやすく」表現した写真を披露。文章では説明しづらいが、立体を平面に写し取る「写真」というものの真実性に認知的・哲学的な揺さぶりをかける企画もあった。これらはのちに『笑う写真』(太田出版/1989年)として単行本化されているが、その発想と手法には編集者として大いに影響を受けている。

そして、『写真時代』といえば、やはり「アラーキー」こと荒木経惟の存在を抜きには語れない。篠山紀信が『写楽』の看板であった以上に、荒木経惟は『写真時代』の大看板だった。というより、『写真時代』は荒木経惟のための雑誌だった。末井氏は著書『素敵なダイナマイトスキャンダル』(角川文庫/1984年)の中で、〈僕は最初、この写真雑誌を『アラーキズム』というタイトルにして、荒木さんが責任編集する写真雑誌にしようと思っていた〉と述べている。出発点からして荒木経惟ありきだったのだ。
事実、『写真時代』には「景色」「少女フレンド」(のちに「少女世界」「少女物語」)「写真生活」という「荒木経惟3大連載」があった。「景色」は、巻頭カラーグラビア的位置づけ。といってもアイドルグラビアのようなものではなく、大股開きの写真もあれば、花や風景や食べ物の写真もある。号によってテーマや構成は違うが、とにかく猥雑なエネルギーに満ちていた。「少女フレンド/世界/物語」は、いわゆるロリータ的な少女をモノクロで捉えたもの(1987年5月号からは「東京ヌード」に企画変更)。四方田犬彦、島田雅彦、小林信彦、山田詠美といった面々の文章が添えられることもあった。「写真生活」は日々撮りまくったスナップ写真を、濃密な活動を綴る日記とともに開陳する。
ビジュアル的に注目すべきは、「景色」や「写真生活」に見られる、小さい写真をページ全面に敷き詰める手法。「あれはビデオの影響ですよ。当時、裏ビデオが出始めた頃で、初めて見たときに、これは雑誌は絶対負けると思ったの。やっぱりビデオはすごいエロに適してたのね、なんかヌメッとしてて。これはマズイっていうんで、ちょっと動きを入れようかなと思って、そういうコマ写真みたいなのを使うようになったんです」(前出『雑誌狂時代!』)と末井氏が語るとおり、ただでさえ生っぽいアラーキーの写真に、さらにライブ感が加味された。
「あと、写真小さくすると、毛が少し見えてもね、修正してんのかしてないのかわからないぐらい小さくすると、OKだったから(笑)」(同前)とも言うが、よく見ると確かに、本来写ってはいけない部分が写っていることも結構あった。そのコマ写真敷き詰め手法はインパクト抜群で、類似誌(『写真生活』『流行写真』など)はこぞって真似していたものだ。