家庭の匂いがしない人に惹かれ、恋に落ちてしまのはなぜなのか?【神野藍】
神野藍 新連載「揺蕩と偏愛」#15

◾️愛情があれば、話し合えば分かり合える?
「最後に帰省したのっていつなの?」
五年前、と答える。一瞬、沈黙が落ちる。相手は気まずそうに笑ったが、目は逸らしていた。
私には帰ろうと思える場所も、帰れる場所もない。実家というものは存在しているが、そこに「帰省しよう」という気持ちも、その行為に必要となる現実的な繋がりも、今はか細い糸のような状態だ。お盆休みや年末年始のような家族を思い出させる時期が近づくたびに、憂鬱がまとわりつく。
記憶の奥底に眠るオレンジ色の風景を掘り起こせば、それはあまりにも完璧な時間だった。食卓の灯り、味噌汁の湯気、夜更けのテレビの音。鮮やかに蘇る。だから厄介なのだ。両立しない感情と現実がぶつかり、じりじりと焼けつく罪悪感と、拭いきれない嫌悪感が私を覆い尽くす。
だからこそ、家族との繋がりが強すぎる人と向き合うと、徐々に息が詰まっていく。遠くから眺めるだけなら、何とも思わない。でも、「家族だから絶対分かり合えるよ」「話し合えば大丈夫」とやんわり言われると、心がぎゅっと潰される。ああ、この人とは、同じ水の中では生きていけないーーそう思ってしまう。
家族の形はそれぞれ。頭では分かっている。でも結局、人が体験できるのは、自分が過ごした家族の時間と、これから築く家族の時間だけだ。積み重なった時間に絡みつく事情を説明するのは難しい。誰かが、それを自分と同じ熱量で理解することは、ほぼ不可能だ。その結果、本能的に嗅ぎ分けて、自分の傍に置いていたのがそういう人たちなのだろう。これ以上、自分が苦しくならないために。そして、誰かの「理想」や、変えられない「現実」を押し付けられないように。
愛情があれば、話し合えば分かり合えると信じていた。付き合うというのは、価値観をすり合わせていくものだと信じて疑わなかった。それは間違いだったと、ようやく思い知った。分かろうとどうにか努力することはできても、完全に分かり合うことはできない。
二十歳の私なら、迷わずこう言ったはずだ。
「そんなの残酷だ。もっと夢を見ろよ」と。
でも、それでいい。
今の私には、この現実の方がずっと生きやすいのだから。
文:神野藍
(連載「揺蕩と偏愛」は毎週金曜日午前8時に配信予定)
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✴︎目次✴︎
はじめに
#1 すべての始まり
#2 脱出
#3 初撮影
#4 女優としてのタイムリミット
#5 精子とアイスクリーム
#6 「ここから早く帰りたい」
#7 東京でのはじまり
#8 私の家族
#9 空虚な幸福
#10 「一生をかけて後悔させてやる」
#11 発作
#12 AV女優になった理由
#13 セックスを売り物にするということ
#14 20万でセックスさせてくれませんか
#15 AV女優の出口は何もない荒野だ
#16 後悔のない人生の作り方
#17 刻まれた傷たち
#18 出演契約書
#19 善意の皮を被った欲の怪物たち
#20 彼女の存在
#21 「かわいそう」のシンボル
#22 私が殺したものたち
#23 28錠1シート
#24 無為
#25 近寄る死の気配
#26 帰りたがっている場所
#27 私との約束
#28 読書について1
#29 読書について2
#30 孤独にならなかった
#31 人生の新陳代謝
#32 「私を忘れて、幸せになるな」
#33 戦闘宣言
#34 「自衛しろ」と言われても
#35 セックスドール
#36 言葉の代わりとなるもの
#37 雪とふるさと
#38 苦痛を換金する
#39 暗い森を歩く
#40 業
#41 四度目の誕生日
#42 私を私たらしめるもの
#43 ここじゃないどこかに行きたかった
#44 進むために止まる
#45 「好きだからしょうがなかったんだ」
#46 欲しいものの正体
#47 あの子は馬鹿だから
#48 言葉を前にして
#49 私をほどく
#50 あの頃の私へ
おわりに