「泣くことでしか伝えられないこと」〜教師と子どもはいかにして繋がることで互いに学んでいくのか【西岡正樹】
それから、朝の会が始まって間もなく、子どもたちは教室に戻ってきました。
話がうまくいったことは、聡の顔を見て分かります。
「聡、もう大丈夫か?」
「はい、大丈夫です」
他の子どもたちも穏やかな顔を見せながら席に着きました。しかし、これで一件落着とはいかないのが、子どもの世界です。私は、このようなことがしばらく続くことを覚悟しながら、子どもたちの様子を見ていました。
後日、私は友人と話をしていました。なぜそのような話題になったのか、はっきりとした経緯は憶えていません。その折、友人は次のような話をしたのです。
「泣いている子どもがずっと相手にされないでほっておかれると、その子どもは人を信じなくなっていくらしいよ」
この話は、友人の息子がお世話になっていたある総合病院の小児科担当医から聞いた話だというのです。その話を聴きながら私は聡の顔を思い浮かべていました。
そして、
「聡との関係をさらに深めていかなくては、聡の思いを受け止めることはできないな」
これからも根気よく聡と付き合い、聡の思いを聞き、私の思いを聡に伝えなければならないことを強く自覚した瞬間でした。
その友人の話を聴いていたこともありますが、自分の学びと経験値が上がり、その後度々起こるトラブルにも、聡の理不尽な言動にも、私は自分自身をコントロールすることができました。また、泣くような出来事が起こるたびに、聡が少し落ち着いてから、必ず聡と話をしました。そして、次の3つのことを確認することを習慣づけたのです。
・どうしてこのようなことが起きたのか
・今はどんなきもちなのか
・これからどうしたいのか
そして、さらに数か月が経ち、年が明けた2月の、ある金曜日のことです。
「帰りの会」が始まろうとしています。聡は、家に持って帰るたくさんの物を両手に抱え、自分のロッカーから机に運んでいます。「一度に運ぶのは無理でしょう」そう思いながら私は、自分の席から聡の様子を窺っていました。案の定、一歩動くたびに何かが落ちる。それを拾ってはまた歩く。
遂に、聡は
「もう、どうして俺のだけ落ちるんだよ」
大きな声を出したのです。すかさず、私が
「聡、声が大きいぞ」
反応すると
「もう」
聡の小さな声が聴こえてきます。
怒りは収まらないが、健気にも、必死に自分をコントロールしている聡の気持ちが伝わってきました。机に戻っても、何にこの気持ちをぶつけていいか分からない聡の思いは、収まっていません。ぶつぶつ何か言っている声だけが聴こえてきます。それでも私は何も言わず、「帰りの会」が始まると聡の後ろに立って、聡を見守っていました。
それからさらにひと月が経過し、終業式の日を迎えました。私は、子ども同士が「みんなに言いたいことを伝える時間」を設けました。その時、聡は教室の仲間に向かって次のような話をしたのです。
「今まで、みんな、ありがとうございました。ぼくはようちだし、おこってばっかだったけど、はげましてくれたのはみんなだったです。そのことにぼくはかんしゃしかありません」
「先生が入ってないぞ」という突っ込みを入れたくなりましたが、聡の言葉に私は泣きそうになりました。子どもの変化は、教師の変化から生まれるということを実感した一年間です。「人と人が繋がることで互いに学んでいく」ということを学んだ一年間でもありました。そして、私は聡と繋がることで「言葉では伝えられないことをどのように受け止めればいいのか」考え続けた1年間でした。
子どもだけではありません。誰にも、泣くことでしか伝えられないことがあるのです。
文:西岡正樹