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もっと真実に気づくべきは我々アメリカ人で、アメリカ人も東京裁判のプロパガンダによって洗脳されている

米国人弁護士が「断罪」東京裁判という茶番 第7回

東京裁判開廷70年。「米国人弁護士が『断罪』東京裁判という茶番」を上梓、来日から40年日本を愛し、知り尽くしたケント・ギルバート氏が米国人の視点からみた東京裁判について論じていく。

    日本は、侵略戦争をしたとか、残虐行為をしたなどと、世界から批判される。

靖国神社にて 撮影・末松正義

 ところが、戦争をなんとか回避しようと、誠実に対応していたのが日本で、何としても戦争を起こそうとしていたのがアメリカだった。

 また、アメリカ軍は太平洋での戦闘で、非道な残虐行為を平然と行ってきた事実もある。いわゆる「南京大虐殺」をラジオ放送や東京裁判で持ち出してきたのも、アメリカの残虐行為を糊塗するためだった。

 東京裁判終結七十年の節目の年である。
 日本が戦った戦争の真の姿を、再認識する必要がある。それは、多くの日本人にとっても、「天動説」から「地動説」への転換にも等しい衝撃となろう。

 しかし、もっと真実に気づくべきは、我々アメリカ人なのだ。アメリカ人も東京裁判のプロパガンダによって、虚妄の世界観をプログラミングされてきたのだ。自分が無知である事実を、知りもしないアメリカ人が、現在も圧倒的多数なのだ。
 先日、FOXニュースのニュース番組、「ジ・オライリー・ファクター」の人気司会者である、ビル・オライリーの最新刊、「キリング・ザ・ライジング・サン(Killing the Rising Sun : How America Vanquished World War II Japan)」を読了したが、彼のあまりの無知さ加減に目眩がした。いずれ公開質問状を送りたいと考えている。

◆対米戦争を回避しようと努めた日本

 近衛文麿内閣は、緊張の高まる日米関係を打開しようと、一九四一(昭和十六)年四月に日米交渉を始めることを決定した。
 日米交渉は、四月十四日に、野村吉三郎駐米大使が、コーデル・ハル国務長官をワシントン市内のウォードマン・パーク・ホテルの中にある長官の私邸を訪ねて、会談することから始まった。
 野村大使は、つづく四月十六日にもハル長官と会談した。五月だけでも、二日、七日、十一日、十三日、十四日、十六日、二十日、二十一日、二十八日と会談を重ねたが、見るべき進展がなかった。

 同じころ、日本本土の奇襲爆撃計画は、陸海軍合同委員会によって、すでに作戦名が『JB―355』と、つけられていた。『JB』とは、「Japan Bombardment」、つまり「日本爆撃」の頭文字である。
 五月九日に、ロークリン・カリー大統領補佐官が、大統領に『JB―355』計画について覚書を提出した。カリーがホワイトハウスで、『JB―355』計画を仕切っていた。
 カリーは、中国問題担当の大統領補佐官だったが、中国に深く同情していた。蒋介石政権と協議するために、この年の一月に中国を大統領特使として訪れていた。
 ルーズベルト大統領は五月十五日、陸海軍に対し、蒋介石政権に爆撃機を供与して、『JB―355』計画を具体化するよう公式に命じた。これは、機体に青天白日旗マークを塗って、中華民国空軍機に偽装し、アメリカ人の「義勇兵」に操縦させ、中国の航空基地から発進して、東京、横浜、大阪、京都、神戸を爆撃するという計画だった。
 陸海軍の合同委員会が、日本本土爆撃計画の実施へ向けて、詳細な立案に着手した。目的は、日本の「兵器および経済体制を維持するために必要な、生産施設を根絶するために、日本の民需、軍需工場を壊滅する」ことだった。
 七月十八日、日本本土爆撃作戦計画書に、陸海軍長官が連署し、大統領の手元に提出した。
 ルーズベルト大統領はこの作戦を、その日のうちに承認した。
 これは、日本の機動部隊が真珠湾を攻撃する、五か月も前のことだった。

 この日、七月十八日に、近衛首相が松岡(まつおか)洋介(ようすけ)外相を更迭するために内閣を総辞職して、第三次近衛内閣が発足した。代わって豊田(とよだ)貞次郎(ていじろう)海軍大将が、外相として起用された。
 松岡を追放して、豊田と交代させたのは、アメリカに歩み寄ろうとしたことを意味した。アメリカのご機嫌をうかがったものだった。
 松岡は、日独伊三国同盟を象徴する人物となっていた。近衛は、松岡がドイツの力を借りてアメリカに対抗しようとしたことが、日米交渉の障害となっていると考えた。

 今日では、ルーズベルト大統領が七月十八日に、日本本土爆撃作戦を承認した文書が、公開されている。
 ルーズベルト大統領は今日でも、アメリカ国民のあいだで、『FDR』 として親しまれている。アメリカの「英雄」として扱われる、数少ない大統領の一人である。
 日本は前年八月に、アメリカ、イギリスが仏印(フランス領インドシナ、現在のベトナムなど)を通じて、蒋介石政権に大量の兵器を供給していた、『援蒋ルート』を遮断するために、フランス政府の同意を得て、南部仏印に進駐していた。さらに、この年の七月に仏印のフランス当局の承認を取りつけて、北部仏印にも進駐した。

 日本では多くの専門家によって、七月二十八日に北部仏印に進駐を強行したことが、日米戦争の引き金を引いたと信じられている。
 だが、ルーズベルト大統領は、その十日前に、日本本土爆撃作戦を承認していた。
 B17をはじめとする百五十機の長距離爆撃機と、三百五十機の戦闘機を、十月一日までに蒋介石政権に供与して、中国の基地から発進させて、東京、横浜の産業地域と、神戸、京都、大阪の三角地帯に、奇襲爆撃を加えることになった。
 この作戦には、中国のどの航空基地から発進して、日本のどの目標を攻撃するのか、それぞれ地図が添えられていた。
 日本本土爆撃は、中国空軍が実施することになっていたが、実際には『フライング・タイガーズ』と呼ばれる、義勇軍に偽装したアメリカ軍の飛行士が行う予定だった。
 ところが、日本本土を奇襲爆撃する『JB―355』作戦は、ヨーロッパ戦線が急迫し、大型爆撃機をイギリスに急いで回さなければならなくなり、中国への供与が遅れることになった結果、実施されなかった。

 だが、真珠湾攻撃の約五か月前に、ルーズベルト大統領が、アメリカ陸海軍に対して、日本本土攻撃計画を承認していたという事実には変わりがない。これは、アメリカ国民を欺き、日本を騙し討ちにするものだった。
 もし日本側が、この計画を察知していたならば、真珠湾攻撃は、自衛権の発動に基づいた反撃になるはずだった。

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ケント・ギルバート

1952年、アイダホ州に生まれる。1970年、ブリガムヤング大学に入学。翌1971年に初来日。その後、国際法律事務所に就職し、企業への法律コンサルタントとして再来日。弁護士業と並行してテレビに出演。2015年、公益財団法人アパ日本再興財団による『第8回「真の近現代史観」懸賞論文』の最優秀藤誠志賞を受賞。著書に『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』、『中華思想を妄信する中国人と韓国人の悲劇』(ともに講談社+α新書)、『リベラルの毒に侵された日米の憂鬱』(PHP新書)、『日本人だけが知らない世界から尊敬される日本人』(SB新書)、『米国人弁護士が「断罪」東京裁判という茶番』(小社刊)などがある。


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  • ケント・ギルバート
  • 2016.12.16