『アニメージュ』とアニメ誌戦国時代【新保信長】 連載「体験的雑誌クロニクル」19冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」19冊目
子供の頃から雑誌が好きで、編集者・ライターとして数々の雑誌の現場を見てきた新保信長さんが、昭和~平成のさまざまな雑誌について、個人的体験と時代の変遷を絡めて綴る連載エッセイ。一世を風靡した名雑誌から、「こんな雑誌があったのか!?」というユニーク雑誌まで、雑誌というメディアの面白さをたっぷりお届け!「体験的雑誌クロニクル」【19冊目】「『アニメージュ』とアニメ誌戦国時代」をどうぞ。

【19冊目】『アニメージュ』とアニメ誌戦国時代
2024年の映画興行収入ランキング1位が何だったか、ご存じだろうか。
いきなりそんなことを聞かれても答えられないと思うけど、正解は『名探偵コナン 100万ドルの五稜星(みちしるべ)』である。実に158億円を稼ぎ出した。2位の『劇場版ハイキュー!! ゴミ捨て場の決戦』が116.4億円だから、ダントツと言っていい。
以下、3位:『キングダム 大将軍の帰還』、4位:『劇場版SPY×FAMILY CODE:White』、5位『ラストマイル』、6位:『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』、7位:『インサイドヘッド2』、8位:『変な家』、9位:『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』、10位:『怪盗グルーのミニオン超変身』と続く。
ベスト10のうち、なんと6作品がアニメである。この原稿を書いている今も『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』が大ヒット上映中だ。公開8日で興収105億円を突破し、日本映画史上最速の100億円超えを達成したという。
まさかアニメがこれほどの市民権を得る日が来るとは、想像だにしなかった。昔はアニメといえば子供が夕方のテレビで見るものだったが、今や大人が劇場(や配信)で見るものになった。なぜそんなことになったのか。歴史を遡れば、その源流は間違いなく『宇宙戦艦ヤマト』にある。
1974年10月から75年3月にかけて放映された同作は、当時としては画期的にリアルなSF設定と人間ドラマを持ち込んだ作品だった。本放送時には低視聴率に終わったものの、再放送で人気爆発。1977年に映画化されると、公開初日には若者たちが徹夜で並び、その様子がニュースにもなった。
そんなヤマトブームをいち早く取り入れた雑誌が『月刊OUT』(みのり書房/1977年創刊)である。当初はアニメ誌ではなく音楽、SF、特撮、マンガ、TVなどポップカルチャー全般を扱う雑誌だったが、創刊2号で『宇宙戦艦ヤマト』を60ページにわたって大特集したのが大当たり。以後、徐々にアニメの比率が増えていく。
アニメ専門誌としては、それ以前に「日本最初のアニメーション専門誌」と自称する『季刊ファントーシュ』(ファントーシュ編集室/1975年創刊)というのがあるにはあったが、体裁としてはファンジン(同人誌)に近いもので内容もマニアック。ヤマトブームをよそに、1977年8月に7号で休刊となっている。
映画版『宇宙戦艦ヤマト』が空前の大ヒットを記録すると、翌78年8月には第2弾『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』が公開され、ヤマトブームはますます過熱。そんな状況下に登場したのが、『アニメージュ』(徳間書店)だった。誌名からもわかるように、最初からアニメ専門誌としての出発である。表紙・巻頭特集ともにヤマトを大きく取り上げた創刊号(1978年7月号)は7万部をほぼ完売。2号目も9万部を完売したという。

となれば、他社も黙って見ているわけにいかない。1979年12月号創刊の『ジ・アニメ』(近代映画社)、1981年4月号創刊の『マイアニメ』(秋田書店)、同7月号創刊の『アニメディア』(学習研究社)と、各社が続々アニメ誌に参入。ここに前述の『月刊OUT』、1978年12月創刊の『マニフィック』をリニューアルした『アニメック』(ラ・ポート)も加わり、アニメ誌戦国時代が幕を開ける。