誰かと眠るのが、私にとって最良の睡眠薬。大人になっても夜が怖い理由【神野藍】
神野藍 新連載「揺蕩と偏愛」#8
◾️東京という街から離れられない
先日、久しぶりに日付が変わってから帰宅した。タクシーの座席に身を任せて、窓枠の外に流れていく風景を眺める。どの道を通っても、数メートル先が見えないような暗闇に出会わない。東京の夜は眩しい。至るところから光が漏れ出し、人が存在している気配を感じる。雨で路面が濡れているからか、反射できらきらと光る。街が眠らずに、絶えず動き続けている。その事実は私を一瞬救ってくれるような気がした。だから、この街から離れられない。まやかしの眩しさに縋ってしまう。アルコールで溶かされた意識の中で、大きな存在に包まれている感覚があった。
タクシーを止め、足早に自宅を目指す。鞄に仕舞い込んだ鍵を取り出し、差し込む。ようやく家に着いた。ガチャリと鍵をかけた瞬間、小さな暗闇に閉じ込められた。光も音も切り離され、私だけが取り残される。先ほどまでの眩しさが遠い。空間を隔てることで、私の孤独の輪郭ははっきりとしてしまう。今日も一人の夜が始まるのか。いつも通りの日常を飲み込む。足元にはふわふわとした存在がすり寄ってくる音が、私を現実に引き戻した。しゃがみ込むと、何かを察したように顎のあたりを舐めてきた。犬のぬるい体温は私を縛り付ける気持ちを少しだけ解いた。
目を覚ますと、夜の私はどこかへ消えている。
カーテン越しに差し込む光を見ながら、私はそっと息を吐く。朝が来た。今日もちゃんと目を覚ました。あんなに怖かった夜が、もう遠くに感じられる。昨夜の恐怖などなかったように、淡々と日常を始める。隣で眠る相手に話かけることなく、そっとベッドから抜け出す。相手に気を遣っているからではない。私の朝を独り占めしたい。だから、起こさない。すやすやと夢の中にいる様子を見て、ほっと胸を撫で下ろす。
朝の私は、夜のことを忘れる。夜の私は、朝が来ることすら信じられない。
何回も繰り返しているはずなのに、何もなかったように記憶が真っ白に塗り替えられる。毎日死んで、毎日生まれ変わっているみたいに。また今日も夜がやってくる。ながいながい一人の夜が。
文:神野藍
※連載「揺蕩と偏愛」は毎週金曜日午前8時配信
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✴︎目次✴︎
はじめに
#1 すべての始まり
#2 脱出
#3 初撮影
#4 女優としてのタイムリミット
#5 精子とアイスクリーム
#6 「ここから早く帰りたい」
#7 東京でのはじまり
#8 私の家族
#9 空虚な幸福
#10 「一生をかけて後悔させてやる」
#11 発作
#12 AV女優になった理由
#13 セックスを売り物にするということ
#14 20万でセックスさせてくれませんか
#15 AV女優の出口は何もない荒野だ
#16 後悔のない人生の作り方
#17 刻まれた傷たち
#18 出演契約書
#19 善意の皮を被った欲の怪物たち
#20 彼女の存在
#21 「かわいそう」のシンボル
#22 私が殺したものたち
#23 28錠1シート
#24 無為
#25 近寄る死の気配
#26 帰りたがっている場所
#27 私との約束
#28 読書について1
#29 読書について2
#30 孤独にならなかった
#31 人生の新陳代謝
#32 「私を忘れて、幸せになるな」
#33 戦闘宣言
#34 「自衛しろ」と言われても
#35 セックスドール
#36 言葉の代わりとなるもの
#37 雪とふるさと
#38 苦痛を換金する
#39 暗い森を歩く
#40 業
#41 四度目の誕生日
#42 私を私たらしめるもの
#43 ここじゃないどこかに行きたかった
#44 進むために止まる
#45 「好きだからしょうがなかったんだ」
#46 欲しいものの正体
#47 あの子は馬鹿だから
#48 言葉を前にして
#49 私をほどく
#50 あの頃の私へ
おわりに