『散歩の達人』の歩き方【新保信長】新連載「体験的雑誌クロニクル」16冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」16冊目
子供の頃から雑誌が好きで、編集者・ライターとして数々の雑誌の現場を見てきた新保信長さんが、昭和~平成のさまざまな雑誌について、個人的体験と時代の変遷を絡めて綴る連載エッセイ。一世を風靡した名雑誌から、「こんな雑誌があったのか!?」というユニーク雑誌まで、雑誌というメディアの面白さをたっぷりお届け!「体験的雑誌クロニクル」【16冊目】「『散歩の達人』の歩き方」をどうぞ。

【16冊目】『散歩の達人』の歩き方
80年代は『ぴあ』の時代であり、90年代は『Tokyo Walker』の時代だった――という話は【10冊目】で少し書いた。1990年創刊の『Tokyo Walker』は、当初『ジパング Tokyo Walker』と「ジパング」のほうがメインタイトルで、左綴じ・ヨコ組みだった。しかし、パソコン誌や科学誌、専門誌以外でヨコ組みで成功した例はほとんどない。『ジパング』もご多分に漏れず苦戦した。そこで、92年に右綴じ・タテ組みにリニューアル、誌名も『Tokyo Walker』へと変更したところ大当たり。あれよあれよという間に、情報誌トップの座に上り詰めたのだ。
映画や音楽を中心としたイベント情報誌『ぴあ』に比べ、遊びスポット、ショップ、グルメ、ファッションまで幅広い情報を扱う『Tokyo Walker』はタウン情報誌的要素が強かった。タイトルを日本語にすれば「東京を歩く人」。まさに街歩きのための雑誌だったと言えるだろう。セレクトショップのように情報を選別した『Tokyo Walker』は若者の支持を得て、網羅主義の『ぴあ』を圧倒していく。東京での成功を足がかりに、北海道、東海、関西、九州へと「Walker」一族は版図を広げる。97年には(例によって)講談社が『TOKYO1週間』という類似誌を創刊したが、『Tokyo Walker』の牙城はビクともしなかった。
そんな『Tokyo Walker』全盛期の1996年に、同じく街歩きのための雑誌がひっそりと(?)創刊された。その名も『散歩の達人』(弘済出版社/現在は交通新聞社)。単なる「歩く人」ではなく、「達人」である。『TOKYO1週間』創刊時の誌名候補として、「ウォーカー」より速い『東京ランナー』はどうかとの案があったという話も聞いたが、「達人」はその斜め上をいく。キャッチコピーは「大人のための首都圏散策マガジン」。大学生から20代を対象読者とした『Tokyo Walker』とは端から目のつけどころが違った。
創刊号(1996年4月号)の第一特集からして「路地裏の誘惑」と、いきなりシブい。〈都会から路地空間が急速に失われつつある。(中略)しかし東京から昔ながらの長屋や銭湯、駄菓子屋など、路地的なものがすべて無くなったとしたら、きっと散歩はつまらないものになってしまうだろう〉というわけで、路地歩きの楽しみを説き、路地で暮らす人々に話を聞く。東池袋4・5丁目界隈、谷中・根津界隈、京島界隈、銀座界隈など、現地ガイドも掲載。煤けた色調の写真が昭和の風情を漂わせる。

第二特集「極上・お花見散歩術」は季節ネタとして普通だが、特別企画には「川崎金山神社・性神世界の謎を探る」「東大駒場寮・解体珍書」「房総半島・つげ義春的リアリズムを探す旅」とマニアックなネタが並ぶ。連載も「東京の駅前旅館」「現代遺跡発掘の旅」とシブ好み。太田垣晴子の考現学的連載「ニッポンモードの傾向」もあった。
〈創刊号は、お花見から路地裏、新宿のタイガーマスクまで、なんでもありの世界。ゴチャゴチャしてて統一感がない、なんて言われそうですが、自分ではこの混沌こそが東京的である、と思っています〉とは編集長・中村宏覚氏の弁。その混沌こそ雑誌的でもある。
〈いろんな場所があって、いろんな人が住んでいる東京には、まだまだ好奇心を刺激するものがたくさん転がっています。そんな中から宝石、ガラクタこだわらず、面白いと思ったものを一つ一つ拾い集めて、今後も御紹介していくつもりです〉の言葉どおり、2号目(5月号)の特集は「娯楽の殿堂・浅草」と「東京ゴミニズム宣言」ときた。
「ゴミニズム宣言」はおそらく小林よしのり『ゴーマニズム宣言』のもじりで、「村崎百郎のゴミ漁りに同行する」なんて企画があるのは当時の悪趣味ブームの影響だろう。ゴミ拾いマニアとして、劇団「指輪ホテル」の看板女優・岡崎イクコが登場しているのも時代を感じさせる。